2019年04月29日
アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』(2005年)でイッセー尾形が演じた昭和天皇は、いつも口の中で声にならない言葉を呟いている。史実をさほど重視しないこの映画で、ソクーロフが映像にしたかったことのひとつは、尾形の形態模写のような呟きだったのかもしれない。そこには発話される言葉の他に、声にならないもうひとつの言葉が伏在していることが見てとれる。恐らく天皇の仕事とは、それら2通りの言葉を内奥で聞き分けながら、ぎごちない沈黙や型通りの片言を外界へ繰り出すことなのだ。
ところが尾形が演じる天皇では、その制御装置が何らかの不具合に陥っているらしく、言葉同士がぶつかり合って発するノイズを外へ漏出してしまう。そのノイズは痛ましく、またどこか滑稽でもある。『太陽』という映画は、粗雑な歴史考証や物語構成にもかかわらず、未然の発語者として天皇を捉えたことで成功している、と私は思う。
“発声する天皇”のことは先に述べた(「論座」「昭和天皇の巡幸が巻き起こした熱狂」「昭和天皇がヒドロゾアと粘菌にのめりこんだ理由」など)。国民の前にほとんど姿を現すことのなかった明治天皇と異なり、大正天皇は人々の前に生身をさらすことを求められた。この人は日常生活では言葉数の多いことで知られていたが、それらは多くの場合饒舌として受け取られた。これと逆に昭和天皇は、(周囲の期待にこたえて)はっきりしたメッセージを理路も整えて語ることができたのである。それは万世一系、神にして人であるという天皇の二面性を表出するデモンストレーションの効果を高めた。
ところが“発声する天皇”としてリーダーシップを発揮し、田中義一内閣を総辞職に追い込んだその次の瞬間、このリーダーは声を出すことを禁じられた。以来天皇は“黙して語らぬ天皇”へ後退する。16年後の1945年8月9日まで、彼の言葉が求められることはなかった。その再びの発声は「聖断」と呼ばれたポツダム宣言の受諾である。
1945年8月、昭和天皇は声を取り戻した。しかも“発声する天皇”は、自身のパフォーマンスにおいて「個性」さえ発揮した。私は、その「個性」は――本連載の前半で述べたように――自身の発言の矛盾をさほど気にとめない無頓着にあったと考えている。GHQのアチソンが報告したように、天皇のメッセージは、「私は東条にだまされた。しかし私には責任がある」だったのだ。多少誇張していえば、昭和天皇の弁舌は、こうした矛盾をはらむことによって力を増し、聴く者に強い印象を残す。第1回の会談で、マッカーサーが天皇にシンパシーを感じたのは、たぶんそこに理由がある。
ところで「終戦詔書」には以下のような一節がある。
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス (太字引用者)
ここで前後の文章の間に挿入された「然レトモ」こそ、
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