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昭和天皇 1949年6月3日 鹿児島県垂水港で拡大戦後巡幸で=1949年6月3日、鹿児島県垂水港

昭和天皇の矛盾をはらむ弁舌

 1945年8月、昭和天皇は声を取り戻した。しかも“発声する天皇”は、自身のパフォーマンスにおいて「個性」さえ発揮した。私は、その「個性」は――本連載の前半で述べたように――自身の発言の矛盾をさほど気にとめない無頓着にあったと考えている。GHQのアチソンが報告したように、天皇のメッセージは、「私は東条にだまされた。しかし私には責任がある」だったのだ。多少誇張していえば、昭和天皇の弁舌は、こうした矛盾をはらむことによって力を増し、聴く者に強い印象を残す。第1回の会談で、マッカーサーが天皇にシンパシーを感じたのは、たぶんそこに理由がある。

 ところで「終戦詔書」には以下のような一節がある。

 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス (太字引用者)

 ここで前後の文章の間に挿入された「然レトモ」こそ、

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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