メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

【1】浪曲師の、とある一日

絶滅危惧芸能を受け渡し

玉川奈々福 浪曲師

バスの中でネタを思案

 さて今日はなんのネタをやろう。

 これが2019年6月の浪曲定席木馬亭の香盤表。本日は3日。

奈々福の浪曲旅日記拡大2019年6月の浪曲定席木馬亭の香盤表

 私の前に上がるのは、入門1年ちょっとの天中軒すみれさんと、入門13年目の東家一太郎さん。二人の持ちネタを思いつつ、ネタが重ならないように、いくつかの候補を考えます。今日は講談が大人気の神田松之丞さんの出演だから、たぶん混むであろうし、浪曲初めてという方もけっこうおられるかも……じゃあ、こういう感じがいいかなあ、と、いくつか想定しながら、今日の支度。

 浪曲師は仕事着である着物一式以外に、演台にかけるテーブルかけ(業界用語で、そう申します。最初は衝撃を受けましたが、慣れてしまいました)を持参します。絹地に、画家の方に直接絵を描いてもらった、これそのものが美術品、というヤツです。重い。今日は定席だから着物とテーブル掛けだけでいいけれど、外のお仕事のときには、お客様に配るチラシや、柝頭(拍子木)なども入れるから、トランクは20キロくらいになります。はい、浪曲師は腕力も相当強いです。

 行きのバスの中でネタを繰る。先月はひと月に、20演目くらいをとっかえひっかえ演じました。頭休まる暇、ないです。ぼーっとどっかに旅したいなあ。

 木馬亭到着。楽屋入りの早い、お三味線の沢村豊子師匠御年82歳、にご挨拶。あ、浪曲は一人の芸ではありません。お三味線と二人の芸。浪曲には譜面がなく、浪曲師と曲師が息を合わせながらつくっていく芸。誰と組むかによって芸が全然変わってきます。私はもう17年、名人・豊子師匠に主に弾いていただいています。

 私より早く楽屋に入られた皆さんにご挨拶。

 浪曲は、現在全国に80人くらいしかいない、絶滅危惧芸能であります。
その浪曲に、3月に7人も新人が入ってきました。今日も楽屋に、前座さんが6、7人います。これ、一大勢力です。

 「奈々福師匠おはようございます!」「おはようございます!」「おはよう……」「おは」「おは」……君たち、並んで一挙に言ってくれ!

 きものは、二枚持ちします。前に出る演者と、万一色が重なったら、別の色に変えられるように。これは私の大師匠・三代目玉川勝太郎以来の教えです。

 そして、ネタも重ならないように。今日は開口一番が義士伝、2番目が侠客伝なので、軽く楽しいネタで行こうと決めて、豊子師匠の三味線で「声出し」をしてもらいます。

 「声出し」。これは、その日の声の調子を確認し、喉をならしておくためにするもので、これをしないで舞台に上がってしまうと、急に声帯の血流がよくなってかゆくなって咳き込んでしまったりするのです。豊子師匠と、軽く段取りの打ち合わせ。

 出番前に、楽屋にお客様。来年の仕事のご依頼のために、わざわざご挨拶に見えた方としばしお話。それからお化粧して、髪を、暴れても動かないようにかためて、着替えます。

 先々月、入門24年目で、初めて弟子をとりました。弟子の仕事はまずは師匠の後見。楽屋働き。私の着替えの呼吸を覚え、必要なときに必要なものを渡し、手を添えることを覚えてもらわねばなりません。弟子、見習い期間も含めて5か月で、呼吸を覚えつつあります。

 さて、出番。柝頭が鳴って、幕が開き、お師匠さんが出囃子を弾いてくれます。

 満杯の客席。初めての方も多かろうと、浪曲鑑賞講座をマクラでやりつつ、左甚五郎のお話を一席。マクラで指導した甲斐あって、掛け声もかかり、よく笑い、よく拍手してくださる客席でした。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

玉川奈々福

玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師

横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

玉川奈々福の記事

もっと見る