2019年08月02日
広島カープ、応援しがいのあるチームになりましたなあ。と強がる夏がやってきました。
よせばいいのに深夜バスで遠征したりして、11連敗のうち半分ぐらいを現地で見届けてしまった「カープおじさん」である当方は、ぼっち観戦での連敗はつらすぎるので、著者の方と一緒に球場でダメージを受けることにいたしました。
ということで不定期シリーズとして勝手に始まった本企画、今回お呼びしたのはジャーナリストの斎藤貴男さん。
最新刊『平成とは何だったのか――「アメリカの属州」化の完遂』(秀和システム)で、平成を通じて日本では「個人」に対する抑圧がどんどん進んでいった経緯を書き切って評判の斎藤さん、「都心での取材のあとなら球場に行けます」とのことだったので、神宮球場へ来ていただきました。
――ご取材明けにお疲れ様です。
斎藤 神宮球場はアクセスがいいからね。あと、屋外で飲むビールは気持ちいいもの。
――そうですね。といいながら、今日は雨。ビールが薄まってしまいます。
斎藤 まあ、わざわざカネを払って雨に打たれたり、抑え投手の「劇場」を堪能したり、そんな楽しみ方ができるのも野球だよね。
――まったくです。カープファンは最終回に中崎翔太投手やフランスア投手がやけに出塁や得点を許したりする「劇場」を味わってしまうわけですが、球場に来ている人の多くはなぜか笑顔なんですよね。私たちはドMなのかもしれません。それにしても今年のカープは、変なチームになってしまいました。猛烈に負けたり劇的に勝ったり。
斎藤 いや、今年はどの球団も大変だよ。横浜もヤクルトもすごい連敗をしたし。広島も今年は本当にわからないね。ピッチャーはいいといえばいいんだけど、絶対的な存在がいないよね。
――大瀬良大地投手もエースになるかと思ったら、一発病に苦しめられているようでつらいです……。
斎藤 いや、セ・リーグ各球団、みんないい打者が揃ってきたからね。巨人の坂本はともかくとして、横浜は筒香・ソト・ロペス・宮崎がみな打つようになってきた。中日は故障が残念だけど高橋と平田がいい。若手でいえば阪神は近本と木浪がすごいし、ヤクルトは村上が出てきた。
――ちょっと斎藤さん、すごく野球観てるじゃないですか!?
斎藤 そうだよ。(スポーツ専門チャンネルの)J SPORTSを契約しているしね。おかげで(CMがヘビーローテーションで流れてくる)「しじみ習慣」にまでくわしくなっちゃった。ふた箱無料なんだよね。
――自分もあのCMを観てつい試してしまいましたが、肝機能の数値は別に……。まあ気にせず今日は飲みましょう。そう言っている間に、珍しくカープが勝ってしまいました。
斎藤 よかったねえ。自分もこの数年は広島に肩入れして観るようになってたんで、嬉しいよ。
――しかし、硬派のジャーナリストとして活躍されている斎藤さんが野球にここまで詳しくて、球場でカープファンとハイタッチしているとは。少し意外なイメージです。
斎藤 野球は子供のころからずっと好きだったから。普通に巨人ファンの、東京の小学生だった。それで親父に連れていってもらって、後楽園球場の巨人戦を観に行ったのが最初かなあ。
あのころは選手名鑑の簡易版みたいな「ファン手帳」というものがあったんだよ。スポーツ新聞の編集部が作っていたんだけど、それを買ってもらって読んだら、近鉄っていうのが「リーグのお荷物」と書かれていた。
――昔のメディアは遠慮のない表現をしますねえ。
斎藤 でも本当にそう書いてあったんだよ。その極端な表現に興味をもって、それで、2回目の後楽園球場は近鉄戦に連れて行ってもらった。
これが、最初に観た巨人戦と対極的だったので驚いたんだ。試合展開もデタラメだったし、観客も少ない。近くにいた酔っ払いはスポーツ新聞を読んでて、試合も観ていない。そうしたら近鉄の打者が打ったホームランが、ちょうどそのスポーツ新聞を直撃するんだよ。酔っ払いは何が起きたかわからなくて、でも近鉄ファンらしくて、「あと何点じゃー!」とか騒いでんの。
これでパ・リーグの真髄を見てしまったんだね。それから近鉄が好きになった。大学生のころ、1978年に江川事件が起きて、巨人が大嫌いになり、完全に近鉄ファンへ、というわけ。
――でも当時のパ・リーグは、東京だとテレビはおろかラジオの中継もめったにないし、応援しようがないじゃないですか。
斎藤 だから大学生のころはずいぶん球場に行ったよ。後楽園での日本ハム対近鉄。そうしたら優勝したんだよね。それで吉祥寺の近鉄百貨店で清酒「バッファロー」っていうお酒を買って、サークルのラウンジに持って帰ってみんなで飲んだりしてた。
――だけど日本シリーズでは「江夏の21球」でカープに敗れてしまうんですよね。
斎藤 それでもセ・リーグでは広島をよく応援していたけどね。巨人が嫌いなら阪神へ、っていうのが当時の定番だったけど、それもいやだったんだね。
――書き手として野球をテーマにしたことはあるんですか?
斎藤 もともとは経済畑だから関係なかった。でも「週刊文春」の記者時代は、いろんなジャンルを扱えたから。それで、西武と近鉄のプレーオフを取材する企画で、「貴男ちゃんは近鉄ファンだから、近鉄側ね」ということで密着取材をやらせてもらったのが最初かな。
――週刊誌の野球取材初体験の記者がいきなり行って、相手にしてもらえるものなのですか。
斎藤 うん。近鉄はやたらオープンでさ、有名な広報の方がグラウンドにも練習場にも入れてくれて、かなり食い込んだ取材ができた。選手もコーチもちゃんと話してくれたし。金村義明さんなんて、ケガして試合に出られない時期だったのに、すごく親切にしてくれた。
一方の西武のほうは、なんせ“管理野球”だからね。そっちを担当した記者は満足に取材できなかったらしくて、それぞれが半分ずつ書いた記事は、近鉄の部分のほうが、つまり俺の取材した部分の圧勝でしたよ。もっとも、それはいかにも近鉄バファローズらしい大らかさのおかげだったんで、俺の取材力が勝った、という話でもなんでもないんだけどさ。
そのあと、阪急が身売りして、関西私鉄が経営する球団がどんどんなくなっていく、っていうテーマでも近鉄を取材したんだけど、よく対応してもらった。だからもともと好きだった近鉄が、取材を通じてもっと好きになったんだよ。赤いユニフォームもかっこよかったしね。
――取材も応援も楽しそうで、いい時代ですね。
斎藤 近鉄の有名な応援団長で、佐野正幸さんという人がいたんだよ。阪急監督時代の西本幸雄さんに熱烈な手紙を書いて知り合いになり、西本さんが近鉄に移ったら近鉄を応援するようになって、そのまま近鉄百貨店に勤めてたんだよね。
斎藤 その応援ぶりを取材して記事にしたんだ。その後、佐野さんはご自身で本を書かれるようになったんだけど、本の中で俺のことを書いてくれた。「当時から鋭い質問をくれる人だった」って。それは励みになったね。
――相手の喜ぶことを書くわけではないのに、褒めてもらえるのは嬉しいことですよね。でも、近鉄球団は消滅してしまいます。
斎藤 うん。そのうえ、球団を経営するのがどんどんIT企業になっていって、俺にとってのパ・リーグの魅力っていうのがなくなっちゃったんだよね。これも産業構造の変化だから、仕方がないことでもあるし、だったら何を観ようか、と。そんなときに、弱い広島がいたんだよ。
――最近の戦いぶりを観て思い出しましたが、そういえば数年前まで、本当に弱いチームでしたものね。
斎藤 でも、ずっと気になる存在ではあった。近鉄と同じで「リーグのお荷物」と言われていたし、野球漫画でも無視されていたし。魅力的な選手もいろいろいたんだけど、なぜか放出しちゃうんだよね。
――オーナー球団なので、外からはわかりづらい諸事情でトレードされてしまうんですよ。
斎藤 そうなると交換先から足もとを見られてしまう。
斎藤 金石昭人投手ね。取材でその名前が出てきたのを思い出したよ。2017年に『健太さんはなぜ死んだか――警官たちの「正義」と障害者の命』(山吹書店)という本を出したの。佐賀で知的障害を持つ人が警官に5人がかりで暴行されて亡くなってしまった話を取材したのだけど、その亡くなった安永健太さんのお父さんが、中学野球で優勝したチームの4番打者だったんだって。それでPL学園のセレクションを受けた。そのとき一緒だったのが、牛島和彦と香川伸行。
――ええっ。あのドラゴンズのリリーフエースだった牛島と、ドカベン香川ですか。浪商に行く前、PLを受けていたんですね。
斎藤 その2人もお父さんも落ちたんだけどね。でもお父さん、試験でホームランを打ってるんだよ。そのときバッティングピッチャーだったのが、補欠だった金石。お父さん、一生の自慢だって言ってた。でもあの金石が補欠だった、っていうのには驚いたね。
――なぜ斎藤さんは広島カープに肩入れするようになったのかをうかがっていたはずが、いつの間にかPLの選手層がすごい、という話になってしまいました。
――さて、近鉄球団を消滅させた平成も終わりましたが、今回それを総括した本を出された斎藤さんにとって、平成とは改めてどんな時代でしたか。
斎藤 フラット化、アメリカ化が進行し、それが完成した時代、と言えるでしょうね。
――日本のプロ野球も、強い資本力を持つ球団が牽引しなければ、ということで1リーグ化しそうになりましたしね。でも大元のアメリカは多くの球団を持っているんだからひどい話です。
斎藤 そう。自分のところは既得権を残しておいて、他は理屈で塗りつぶす、そういう流れが日本にもできあがってしまった。
――自分の生活が維持できればそれでよし。強者の尻馬に乗り、弱者の声など顧みない。そんな風潮の片棒を担いでしまった我々も反省すべきです。
斎藤 でも、広島というチームはローカリズムを徹底しているおかげで、まだその風潮に同調していない。だから俺も注目してしまうんだろうね。
――広島のマツダスタジアムはあんなに大入りなのに、いまだに自由席を廃止しない。地元の人たちがいつでも安い値段で気軽に来れるようにしている、というわけです。仲間内で誰かヒマな人が早くから並んで席取りをすれば、座って観戦できるんですよね。正直、広島に席取りしてくれる友達もおらず、東京から遠征して観るしかない身としては、わりとイライラするのですが。
斎藤 だけど、高い値段の指定席を増やせば簡単に儲かるのにそうしない。そういう心意気はいいよね。昔、巨人も自由席があって、子供料金が100円だった。だから行って応援してた、というのもあったから。
――だけど拝金主義が徹底した平成を通じて、各球場から自由席はどんどん消えていってしまいました。
斎藤 そういう風潮を批判した本を書いたわけだけど、だからといって俺自身は左翼だとはまったく思っていない。要は右でも左でも、「人が操られていること」がいやなんだ。そして本来あるべき自由を謳歌しない、させてくれない人がいやなんだよ。
――自由席で席取りをして、人生を楽しんでいいのに、どうしてお仕着せの指定席で管理されたがるのか、と。
斎藤 もちろん操られる自由だってある。そのほうが楽だから。でも、いまは上の立場に権力や家柄を持つ人が居座り、堂々と「操られているほうがいいでしょ」と言い放つようになった。
――自分だけコネでVIP席に座り、「お前らはそれ以外の席にカネ次第で座らせてやる」って公言するようなものだから、恥知らずな話ですよね。
斎藤 そういうこと。権力を持っている人が他人を支配するのに喜びを感じて、それを隠そうともしない。これは恥ずかしいことだと思うんだよね。
――斎藤さんは、別に君が代の斉唱や日の丸の掲揚を批判しているわけではなく、その強制を批判しているわけですよね。
斎藤 うん。たとえば日の丸も、もちろん血塗られた歴史を持つ旗だけど、国なんてものはそういうものなんだから。だからそれはそれで、反省も込みならば国旗になっても仕方がない。逆に、いまそれを変えてしまうと、変えてしまった人の権力を象徴する旗になる。それは最悪のことだと思う。そういう意味では旗や歌に意味をあまり持たせない。強制しない。それでいいんだと思うんだよね。
――私はいつも外野席で周囲と同じ応援歌を歌って立ったり座ったりしているわけで、半分くらいは強制というか、操られる快楽を味わってしまっているのですが……。
斎藤 好きで選択してそこに行ってやってるんだから、問題ないんじゃない? 最初の話に戻るけど、今日みたいに雨に打たれながら、なかなか試合を終わらせてくれないクローザーに胃を痛めるのも、人間とはそういうのを楽しめるからいいんだ、って俺は思うよ。
――愚行権というやつですね。
斎藤 うん。それで自由を謳歌できているんだから。強制する側の人が悪い、というだけの話だよ。車椅子の生徒まで、国歌・国旗の前に起立させようとする。そうすると校長は出世できる。頭が良くて勉強ができるから校長になれたはずなのに、どうしてそんなことをしようと考えるのか。そういったことを掘り下げてまた書いていくので、ぜひ読んでみてくださいよ。
──もちろんです。でも斎藤さん、ここは著者としても自由を謳歌すべく、野球についても書いていただいていいのではないですか?
斎藤 実は書きたい話がいろいろとあるんだよ。くわしくは……もう一軒行こうか!
――行きましょう! いい野球酒場があるので、そこで延長戦とまいりましょう。
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