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女性に大事なことは全てセイリグから教わっていた

今こそ再評価したいフェミニスト女優

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

ビデオカメラで既成の映像を批判的に加工

 彼女は監督としても興味深い足跡を残している。女性運動を続ける中でビデオ制作に興味を抱いた彼女は、1974年にフェミニスト・ビデオの先駆者キャロル・ルッソプロスが主催するビデオ制作アトリエに参加した。

 当時は、ソニーから撮影と投影の機能を備えた画期的なポータブルビデオカメラ「ポータパック」がフランスに流通し始めた時代。ルッソプロスは1969年にゴダールに次いでフランスで2番目にポータパックを手に入れた人物。すぐに意気投合したセイリグとルッソプロスは映像グループ「服従しないミューズたち」を75年に結成し、次々と女性解放のためのフェミニズム・ビデオ作品を手がけるようになる。

 安価で手軽に使えるビデオカメラは、運動の奥深くに入り込むのに格好の道具だ。ビデオは誕生間もなく、古い権威がいない分野でもあったため、女性たちが自由に羽を伸ばせる表現手段でもあった。

© Micha Dell-Prane, 2019拡大1976年、女性たちのデモを撮影中のデルフィーヌ・セイリグ(左) © Micha Dell-Prane, 2019

 展覧会ではセイリグの監督作品も当然紹介する。彼女は短編も含め7本の作品を残したが、なかでもビデオ撮影による新しい語りを導入したのが『マゾとミゾは船でゆく』だろう。これは1976年にセイリグが「服従しないミューズたち」の仲間と手がけた共同監督作品。

 国連は女性の地位向上を目指し、1975年を「国際婦人年」としたが、この年の瀬の12月30日に、仏国営放送アンテンヌ2局は「女性年はあと一日、やれやれ! 終わりだ」というひどいタイトルのトーク番組を放映した。この番組を見たセイリグは、出演者たちのあまりの女性蔑視ぶりに失望し、ビデオによるパロディ作品を制作することに決める。

 番組には複数の女性蔑視的傾向を持つ男性ゲストに加え、当時女性の地位担当副大臣だったフランソワーズ・ジルーが参加。ここでジルーは女性の立場を代弁するかと思いきや多数派の男性陣に取り込まれ、ついには

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筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

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