大学のワークショップで特別講義して思い出したあの苦しい日々
2020年02月02日
総合芸術大学というところから「打楽器専攻の学生12人と一緒に、ワークショップを行って、10分ほどの新しい作品を作ってほしい」と私に連絡が来た。
はい! お安い御用でございます! 得意分野でございます!
それで、国楽科打楽器専攻者たちへの、特別講義を1週間ほど行った。
韓国の大学は1月、2月は冬休みなので、その間、各大学から打楽器を専攻する学生たちが、1週間のワークショップを行い、3月の学期初めに発表会を持つことがまれにあります。
最近の学生はみんな上手!! 私たちの時代より、技術も上。
私が、「誰から習ったの?」って聞いたら、「ユー先生です」。
「ユー先生?」
韓国打楽器界にユー先生っていたかなあ?って思っていたら、「ユーチューブです。だから、ユー先生」。
うまい! おもろい!
いや、そうなのです。最近の学生たちはみんなユーチューブから音源を得ています。
これはすごいことですよね。探す速度も速いし、何よりタダ。
私たちの時はというと、伝統の音源はほとんどなく、師匠の稽古の時間を頭で記憶する。そして、生の公演を沢山見に行く。この方法しかなかったんです。
思い起こせば1986年4月に渡韓。国立国楽高等学校で、朝の5時から夜の11時まで勉強と練習の日々を重ね、ソウル大学へ。そして大学院。死ぬほど練習したし、勉強しました。死ぬほどね。
音楽の練習は苦ではなかったけど、学問がきつかったなあ……(なぜなら音楽はできたから、フフフ)
高校3年にもなると、受験を控えて、教室の席取り合戦が必死。その日の1日の席を、朝早く来た順から選べるのですよ。
だから、僕が朝5時に行ってももうすでに後ろの方。一番最初に来た子は、1時、2時くらいに来ていた。
えーー!! 午前ですよ、1時 2時!!
毎日夜11時まで、一緒に学校で勉強していたのに。彼らは、家には1度戻って、シャワーして、仮眠とったくらいで、また学校に来ているのです。
こんなのが毎日続く。
ある、女の子なんかは、片方の眉毛を剃った。
どうして?!って。それはね、家と学校以外の場所に、行かないようにするためです。
女の子が、眉毛を片方剃ってたら、恥ずかしくて外に出られないでしょう……
信じられませんが、そういう作戦なりなんなり、皆ホント必死です。
みんな弁当は3つ持ってきてる。朝、昼、夜の分です。
カバンも何十冊の教科書が入っていて、重たい、重たい、それに各自の専攻の楽器も持ってるし。
あーー、思い出しただけで、逃げたくなる……。当時も毎日逃げたかった。
「日本に帰ってやる、絶対に帰ってやる!」
って思ってた。3年間。
夏休みや、冬休みに日本に帰ったら、中学の友だちらが、バイトをしながら、自由に遊んでるのを見て、本当に羨ましくて、2度と韓国には戻りたくなかった。
けど、やはり、父母が一生懸命に小さな焼き肉屋で、汗水たらして稼いでくれているのがいつも頭によぎったので、やめなかったんだろうなあ。
高校の真横には国立劇場がありました。
その劇場の1階には当時、大きなレストランがあって、大型バスも駐車でき、大人数が一度に食事ができるので、日本から修学旅行で昼食を取りによく来ていたんです。
私はというと、海外から昔も今も、初めて韓国国立国楽高等学校に入学した「外国人」(在日だけどね)。しかも、毎日「日本に帰ってやる!」と思っていた学生。
私の勉強している傍ら、真横のレストランにやって来る、たくさんの日本からの修学旅行生たち! これが窓越しによく見えるんですよ。
これが一番つらかった。これが天国と地獄を、見せられている気分なのだ!
今すぐに、自分の高校から脱走して、日本の修学旅行生に紛れ込んで、日本に帰りたかった……せめて、せめて、おしゃべりだけでもしてみたかったが、高校の外に出れるはずもなく……本当につらかったなあ。
こんなこともありましたよ。
国楽高等学校はソウルの南山の中腹にあって、土曜日だったかなあ、試験期間だったかな、とにかくお昼か夕方くらいだった。
たくさんの学生たちが一斉に南山をくだっていると、あるバックパッカーの方が、観光書を片手に私に声をかけてきたのだ。結構な人数の学生が下校している中、その人が初めて声をかけたのが私。それで道を尋ねられた。
Where is Korean House?
見ると観光書が日本語だったので、私はすぐに日本語で「日本語大丈夫ですよ。」って。そしたら、「よかったー。道に迷って困っちゃって」。
「コリアンハウスは全然違う方向、僕が案内します」
彼は多分、地下鉄の出口を間違えて、全く違う方向へ。しかも南山の方へ登ってきたのです。途中で気づいた彼は、たくさんの生徒の中で私に声をかけたのである。
不思議でした。今や、日韓の間には観光旅行者が沢山増えましたが(ちょっと最近はアレやけど……)、当時は本当に少なかったんですよ。
2~30分は一緒に歩いたと思います。楽しかったなあー。
多分高校時代で私がちゃんと日本語で会話したのは、その時だけだと思う。連絡先も何もいただかなかったから、お名前も何も分かりませんが、お元気かなあ?
あの時は本当に、うれしかったんです! 迷ってくれて、ありがとう。
こんな厳しい時期があったので、今があります。
今は、ユー先生のようですが、私は、あの時、師匠に師事した事は忘れません。
また、あんな苦労した時代があったので、今、周りがしんどいって言う事も、私、あまりしんどくない事の方が多いのです。
今日はここまで。
P.S.
2020年 ミンヨンチ&トライソニーク ジャパンツアー決定!!
2/7 名古屋 ジャズイン・ラブリー
2/8 大阪 ミスターケリーズ
2/9 京都 ライブスポット・ラグ
2/11 東京 六本木・サテンドール
各ハウスにご連絡を!!
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