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豊かな心を持つ男・在原業平の和歌と恋を語る…髙樹のぶ子・小島ゆかり対談

オンラインスペシャル対談「業平の恋と和歌」

丸山あかね ライター

雅でエロチックな文体はいかにして生まれたのか?

小島 文体にも驚きました。あのように雅(みやび)で、しかもエロチックで艶やかな文体がいかにして生まれたのか、大変に興味があります。もう一つ、本の分厚さにもビックリでした。「伊勢物語」の注釈書というのは薄いのですが、それを450ページにまで膨らませるというのは凄い。いかに高樹さんが妄想を膨らませてお書きになったかという証かなと(笑)。

拡大『小説 伊勢物語 業平』(日本経済新聞出版)
 とにかく素晴らしい成果ですね。これまでも髙樹さんはたくさんの名作を書かれていますが、私は「小説伊勢物語 業平」が新たな代表作となったのではないかと思います。

髙樹 小説家である以上、現代語訳にはしたくなかった。それを第一の目標に掲げて古典にアプローチしようと考えました。

 小説にするためには業平という主人公が必要。その主人公のものと思われる歌を「伊勢物語」の中から抽出し、なおかつ業平の人生の流れの中において、歌を入れ込んでいくという。しかも物語があって歌にたどり着き、歌によって物語が引き立つという相乗効果を狙いたいという試みで。私は大変なことに乗り出してしまったのだと、新聞連載を始めてから気づいたのです。

 でもそうした構成より更に難しかったのが、今、小島さんがおっしゃった文体についてです。業平が生きた時代の雅な空気を平安から現代に蘇らせたい。さてどうするかと試行錯誤を重ねました。

小島 そうでしょうね。

髙樹 注釈がつくのは無粋であると。地の文として書き、注釈と同じようにちゃんと意味が伝わるようにするためにはどうしたらいいのかと考えた末に、白状してしまうと万葉の時代の長歌を参考にして書き始めることにしました。

 5音と7音の2句を交互に数回繰り返し、最後を7音で止めて反歌に続くというリズムは、日本人の生理にフィットしているのでしょうし、調子がいいということで。実際には小説を5音と7音の繰り返しで書き進めることはできませんが、なるべく近づけたいと意識していたのです。すると体内リズムが確立され、「です、ます調」と「体言止め」のミックスが不調和でなくなってきて、この音律で歌の説明もイケると。そうして、ようやく「小説伊勢物語」を書くことができそうだと思うことができました。

業平が降りてきて……

拡大『伊勢物語 在原業平 恋と誠』(日経BPM)
小島 今、長歌とおっしゃるのを聞いてハッとしたのですが、現代人が万葉集の長歌を詠むと、本来「五七調」のところが「七五調」に変わってしまう。つまり前のめりのリズム感になってしまうのです。おそらく時代が新しくなればなるほどスピード感が出て来たからでしょうか。高樹さんのお書きになった『小説伊勢物語』は「五七調」を意識なさることによって、ゆったりとしたテンポを獲得することができたのだと思います。

 私は歌を作る時、口語も使いますけれど、基本的には文語調で旧かなで。それはなぜかというと、旧かなの文体のほうが時間の流れがゆったりだから。なぜか丁寧で雅な「です、ます調」のほうが、「で、ある調」より色っぽいんですね。奥行があって、羞恥心があって、突き詰めてゆくとエロチックな文体になるのです。長歌から文体のヒントを得たというお話、非常に納得がいきました。

髙樹 できれば一度ならず二度、三度と読み返していただける作品にしたいと思っていました。それだけの魅力をどうやって作るかと考えた時に思い浮かんだのが音楽性のある文体だったのです。

小島 歌をきちんと鑑賞するためには、最終的にはリズムが体の中に入らないと反応できません。ですから髙樹さんが体内リズムを確立してから小説を書き始めたとおっしゃるのを聞いて、本質的なところを掴んでおられるなと。

髙樹 そうなのですね。

小島 この直感は何でしょうかと不思議な気持ちがしました。

髙樹 業平が降りてきてこういう文体でやってくれと(笑)。

小島 そう。業平と髙樹さんは気が合うのでしょう。

髙樹 いい男だから嬉しいわ。

小島 アハハ。

業平の歌の特徴と天才性

拡大

髙樹 私は小島さんの感想を聞くのが一番怖かった。業平の一代記とはいえ、小島さんから「歌の解釈が的外れです」と指摘されたらアウトだと思って。でも褒めてくださったので嬉しかったです。

小島 多くの場合、注釈書を見た時に意味を読んでしまうのですよね。

髙樹 そうそう。

小島 でも意味ではなく、言葉に込められた心を思わなくてはいけません。それから言わないことの空白にある息づかいのようなものも感じ取らなければいけない。

 ずいぶんと昔の話ですが、リービ・英雄さん(西洋出身者としてはじめての日本文学作家)が万葉集の英訳本を出版なさった時に、ご本人から伺った忘れられない話があります。たとえば有名な「田子の浦うち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りつつ」という山部赤人の歌について。リービさんは「真白にぞ」をどう訳すかということに頭を悩ませたと。

 意味だけを追うと「ひどく白かった」とかいうことになってしまいます。でも結果的にどうなったかというと、「White Pure White」。歌の中には「白」は一度しか出てきていないのに、二度重ねた。このことにより「なんという白さなのだろう」と感動した様子が伝わってくるわけで、私は本当に感心してしまいました。

髙樹 まさにその「言い重ね」が業平は得意中の得意で。超絶技巧的に周囲の人達から拍手をもらうということあるでしょうけれど、業平の場合は作為とか型を超えて言葉が溢れてしまう。溢れてしまう時にため息が次々と重なって出てくるような言葉の使い方をしている。溢れるパッションで詠んだ歌だから、業平の歌は現代人の心にも響くのではないかと私は思うのです。

小島 それこそが業平の天才性でしょうね。紀貫之が業平の歌を「その心余りて言葉足らず」と評していますが、これは否定的な評価ではなく、心が余る故に型をはみ出している状態を指し、いかようにも解釈のできる業平の歌やその天才ぶりをを高く評価しているのです。たとえば「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめくらさむ」という歌は、「見なかったわけじゃないけど、見たわけでもない」って、一体どっちやねん! と思わず突っ込みたくなってしまいますよね。

髙樹 アハハ。

小島 でも業平は、同じ言葉を重ねたり、対立することを言ってみたりしながら、自問自答している。あるいは相手に問いかけている。そこが大きな特徴ですね。


筆者

丸山あかね

丸山あかね(まるやま・あかね) ライター

1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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