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豊かな心を持つ男・在原業平の和歌と恋を語る…髙樹のぶ子・小島ゆかり対談

オンラインスペシャル対談「業平の恋と和歌」

丸山あかね ライター

「起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮らしつ」

髙樹 私が業平の歌の本質的なところを掴んでいるかどうか。今日は歌人である小島さんに分析していただけるということでワクワクドキドキしています。よろしくお願いします。

小島 お時間に限りがありますので、代表的な3首取り上げてみたいと思います。最初は
『小説伊勢物語』では「雨そほ降る」という章に出てくる一首です。「起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめ暮らしつ」。この歌はさきほどの歌と同じで、起きてるわけでもなく、寝てるわけでもないと。

髙樹 どっちやねん! (笑)。

小島 普通に訳すと、起きているわけでもなく、寝ているわけでもなく夜を明かして。そして昼は昼で春の倣いである長雨を見つめてボンヤリとしているとなります。これだけ読むと恋の歌であるとはわからないのですが、古今和歌集では恋歌3の巻頭に入っています。

髙樹 恋歌1から5まであるのですね?

小島 そうです。恋1と恋2は、ちょっとお手紙のやり取りをしたりしている段階の「まだ見ぬ恋」。恋3になると初めての逢瀬の前後。恋4が熱愛状況から別離まで。そして恋5が失った恋の追憶となっています。

 恋3の巻頭というのは、恋3の真ん中あたりに初めての逢瀬の歌がきますので、後朝の歌ではなく、まだその手前で悶々としているという感じだと思うのですが、それを「伊勢物語」では、ちゃっかりと後朝の歌にしています。とても素敵なところは「容姿はさほどでもないけれど、心映えが素敵な女性」だという点。そしてどうやら人妻らしい女性と一夜を共にした朝ということです。

高樹 そうそう。

小島 髙樹さんの解釈はこうです。昨夜、私はあなたの傍で、起きているのか寝ているのか判らぬまま朝を迎えてしまいました。そぼ降る雨のせいでしょうか、それともあなたが春の雨のようにわたしの中に入ってこられて、起きることも寝ることも叶わぬ甘い酔いで縛ってしまわれたのか。いまあなたから離れてもあの雨は、こうして空から、いえわたしの身内でも、降り続いております。春の雨とはこのように長く、いつまでも終わりのないものとは知ってはいましたが、切ないものですね。

髙樹 うふふ。

小島 本当にお見事だと思います。どういう風に想像を膨らませていかれたのでしょう?

髙樹 ここで私がテクニカルだなと思ったのは、起きてるか寝てるかわからなかった一夜というのは、男も女も共有している。業平はトロトロしているようなむつみ合い方をしたことを相手の女性に思い出してほしくて歌を詠む。すると女性は反応して余韻に浸る。これが恋上手な男の駆け引きというか……。単なる社交儀礼の歌を超えて、恋をより強く印象づけている。やはり業平は恋の達人だなと私は勝手に思って。

小島 それにしてもの想像力ですね。だって歌には「春のものとて」としかないのに髙樹さんは「あなたは昨夜、春の雨のように私の中に入ってこられて」と。これこそが余白を読むということだと思います。

髙樹 そうなら嬉しい。単に歌の解釈をするだけでなく、書かれていない情念へと自在に想像を広げていく。これは小説にしかできないことなのです。現代語訳でそこまでやってしまったらクレームがついてしまいますから。

小島 妄想作家である髙樹さんの本領発揮というところで、大変感銘を受けました。

髙樹 光栄です。

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筆者

丸山あかね

丸山あかね(まるやま・あかね) ライター

1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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