「いわきアリオス」での歩みを振り返る【上】
2021年05月05日
福島県いわき市は、東日本大震災で強い揺れと津波に襲われた。そして、原発事故から避難してきた人が、いまも大勢暮らす町でもある。ここにある市の劇場「いわきアリオス」が見つめてきた「この10年」を、劇場で演劇・ダンスを担当する萩原宏紀さんがつづる。
東日本大震災から10年が経った。3月11日の前には様々なメディアで「福島」や「震災」「原発事故」という言葉を目にした。そして12日以降、パタッと見なくなった。その後、聖火ランナーの話題で少し復活したが、またすぐに見かけなくなった。そのことに違和感を抱いている人は少なくないだろう。私自身もそうだ。
迷っているうちに3月11日はすっかり過ぎてしまった。しかし、だからこそ語ろうと思う。世間的には10年という節目を過ぎたかもしれないが、日常は続いている。そこに節目など存在しない。
私は2012年からの9年間、いわきで暮らし、いわきの公共劇場で演劇制作者として働いてきた。その視点から言葉を紡ぎたいと思う。
私が勤務する「いわき芸術文化交流館アリオス」(以下、いわきアリオス)は福島県いわき市が直営で運営する公共劇場である。
いわき市は、1966年に周辺の14市町村が合併して誕生した。市の面積は東京23区の約2倍で、2003年に平成の大合併で静岡市が誕生するまでは、日本一広大な市として知られていた。東北の最南端、関東の最北端といった位置にあり、気候も温暖で過ごしやすい。
いわきアリオスは、そのいわき市で2008年4月に第一次オープンを果たした。大ホール(1705席)、中劇場(687席)、小劇場(233席)、音楽小ホール(200席)の4つのホール・劇場と、リハーサル室・稽古場・練習室・スタジオ等の練習系施設を有する大きな劇場だ。
2011年3月11日、大ホールではピアノ、中劇場では照明機材の定期保守点検が行われ、小劇場では当館の自主事業である「いわきでつくるシェイクスピア『から騒ぎ』」の稽古が予定されていた。スタジオや練習室、カフェも含め、100名ほどの利用者がいたと推測される。
その後、夜になっても帰宅を怖がる人、ロビーに残る人がいたため、当館は指定避難所ではないが、臨時避難所として運営していくことを決定した。舞台備品や舞台用具等からカーペット、クッション、ゴザ、畳などをロビーに運び出し、そこから5月5日までの56日間、当館は“避難所アリオス”となった。
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