役と俳優は一体、「見果てぬ夢」を胸に
2022年02月23日
2月6~28日公演予定だったが、関係者に新型コロナウィルス陽性が見つかり、8~12日中止。13日に再開したが、17日から再び中止になり、24日に千秋楽までの中止が発表された=2月24日追記。
二代目松本白鸚は、53年間、『ラ・マンチャの男』を演じ続けてきた。2022年2月はそのファイナル公演である。
製作発表の記者会見(2021年12月16日)で、白鸚はこう語っていた。
歌舞伎俳優であり、ミュージカル俳優でもある自分自身が、この役と一体となっている実感を、幸四郎=白鸚は、度々文章に残している。
〈16年間、この作品を演ずる度に、私の胸に去来するのは、人皆それぞれ「ラ・マンチャの男」を抱いて生きるものであり、私にとっての「ラ・マンチャの男」とは、歌舞伎役者としてこのミュージカルを完璧に演じるという熱い思いと、自分の中に秘めた高い志です。その見果てぬ夢を胸に抱いて今回も帝劇の舞台を勤めたいと思います〉(1985年公演パンフレット)
〈28年の間、舞台で「ラ・マンチャの男」を演じていない時でも私の心の中には、ドン・キホーテが生き続けておりました。いささか大仰に言えば、私は実生活においてもずっと「ラ・マンチャの男」のドン・キホーテを演じ続けていたのかも知れません〉(1997年公演パンフレット)
歌舞伎に詳しい演劇評論家で作家の戸板康二(1915~93)は「持ち役の顔」と題して、こう書いている。
〈昭和44年の春の初演から、数を重ねた「ラ・マンチャの男」の公演を、順々に見てゆくと、当然のことだが、染五郎の顔が、だんだん、青年から壮年に変わってゆく。このあいだに、恋をし、そのひとと結婚して、父親にもなったのだから、人間的にも成長したわけだが、それだけではなく、このミュージカルの主人公の顔が、主演者の顔と、緊密に結びつき、定着して行ったということなのである〉
〈父の八代目幸四郎には「元禄忠臣蔵」の大石内蔵助の顔が定着したとぼくは思っているが、染五郎では、何といっても、「ラ・マンチャの男」の顔が、その扮装した役の中で、久しくなじんだ、そして染五郎らしい顔だと、今のところ、いえるのだ。そういう持ち役をひとつ持ったというだけでも、染五郎はしあわせ俳優なのである〉(1980年公演パンフレット)
『ラ・マンチャの男』は、宗教裁判にかけられることになったセルバンテスが、牢獄の中で、囚人たちを相手に自身が書いた芝居を演じる、という内容だ。その劇中劇は、老いた郷士アロンソ・キハーナの物語。正気を失ったキハーナは、自分は遍歴の騎士ドン・キホーテであると思い込み、旅に出る。そして、どんなに傷ついても、「真実」のために戦い続ける。
この登場人物と自身との関係を、白鸚は、次のようにつづっている。
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