メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

人間の尊厳伝える災害取材

好奇心高め、質問する力を

李淼 香港フェニックステレビ(鳳凰衛視)東京支局長

避難所に泊まり、感じた

 私が日本での災害取材の経験を語るのは、ジャーナリストの緊張感、緊迫感が端的に伝わるということだけでなく、そこに人間の尊厳を大切にする姿を見ることができ、そして、それを伝えることがジャーナリストの使命だと考えるからだ。だから、ジャーナリストを志す若い人たちの参考になるのではないか。

 東日本大震災を経験して、何が起きてもすぐに現場に行けるよう、時々、妄想の域に入ってしまうくらいシミュレーションをしている。バッグには、週末でも旅行中でも、常に録音マイク、十分なバッテリー、イヤホン2種類、携帯電話3台を入れている。災害の多い日本で、いつでも現場から伝える準備をしておくことは非常に大事なことだ。

熊本地震の避難所を取材=2016年4月拡大熊本地震の避難所を取材=2016年4月
 16年の熊本地震でも、現地取材に行った。熊本市に着くと、まず避難所に直行した。小学校の校庭には、大勢の被災者が炊き出しをもらうため列を作っていた。あるおばあさんは、1時間待ってようやくお皿半分の食べ物をもらったという。「地震だから、仕方ないわね」と小さな声で言って静かに去って行った。その小学校の校長先生はかれた声で「もうすぐ備蓄した水や食べ物が半分になる。まだ何も支援物資が来ていない。行政から物資が届くことを信じる」と疲れ切った表情でインタビューに答えた。

 熊本では、1日平均10回ほど中継リポートをした。日本時間深夜に最後の中継をしてから4〜5時間後には、翌日早朝の中継の準備を始める、という具合だった。泊まるホテルはなく、レンタカーも狭かったので、迷惑をかけないことを前提にある避難所が泊まらせてくれた。

 それは中学校の体育館だった。お年寄りがほとんどで、全員疲れ切った表情をしていた。みんな静かで、隣同士でようやく聞こえる程度の小さな声で話をしていた。狭いところに人がたくさんいるため、少々騒がしいところだとイメージしていたが、全くそうではなかった。

 夜に震度5以上の余震が何度も起きた。携帯電話の緊急地震速報も何回か鳴り、そのたびにガシャガシャと音がして建物もひどく揺れ、不気味な夜だった。暗闇の中、「怖い! 怖い!」と何度も叫んでいる女性もいた。とても寒く、ほとんど寝られなかった。

 周りの被災者を観察すると、窓際には、20代の男性1人が夜中もずっと座っていた。あるおばあさんは、夜中に起きてひざまずいてお祈りをしていた。避難所の外には、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが寒い風の中でじっと我慢していた。「赤ちゃんが泣くと迷惑だから、中には入れない」とのことだった。

 益城町の大きな避難所では、夕食の配給に千人ほど列をなしていたが、並んでいる人々の秩序の良さに驚いた。全員が避難所前の敷地に入れないため、列は自然と何回も曲がり、敷地の外まで続いた。その写真を微博に投稿したところ、3千回ほど転載され、コメントも1500件を超えた。「これが国民性だ。我々とはまだ何十年何百年もかけ離れている」「本当の光景なら、日本人は恐ろしい人たちだ」などと驚いた感想が多かった。

 救出した赤ちゃんを、レスキュー隊の隊員が一人一人、両手で丁寧に次の人に渡し、救急隊員がやはり両手で毛布を持って慎重に赤ちゃんを受け取るシーンも忘れられない。自衛隊員がおにぎりを被災者に配る時、どのような人であれ、同じように尊重されているように見えた。私が熊本地震の現場で見たものは、被災者一人一人の尊厳だった。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

李淼

李淼(リ・ミャオ) 香港フェニックステレビ(鳳凰衛視)東京支局長

中国吉林省出身。慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。NHK国際放送中国語アナウンサーを経て、2007年から現職。日本の政治や安全保障、日中外交を中心に取材。首相や大臣など多数の政治家に単独インタビューした。東日本大震災、福島原発事故、熊本地震などの災害では現地取材した。個人ミニブログに67万人のフォロワーがいる。