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国民が「共感」できる言葉を

政治家の劣化が招く無関心

東照二 米ユタ大学教授

小泉元首相の「言語力」

拡大小泉純一郎首相(当時)の街頭演説に聴き入る人たち=2005年8月、相模原市

 かつての小泉純一郎首相は、数ある政策の中でも、特に「構造改革路線」を堅持して、「民間」に、そして「地方」にやる気を出してもらうべきだなどと主張し、空前の人気を集めた。国会を解散して選挙に勝利を収め、「郵政民営化」を成し遂げた政治家でもある。野党はもちろん、自分が総裁を務める自民党の中でも反対が強かった主張だ。

 自分の主義主張を押し通した小泉の「言語力」の特徴とは何か。ここでは日本記者クラブで語った「原発ゼロ」をテーマとする演説(2013年11月12日)を少し見てみよう。

 既に政界を引退していた小泉だが、東日本大震災以降、原発が抱える根本的な問題、つまり、膨大な核のゴミを最終処分する施設が、実は日本はおろか、世界にもないという現実に直面し、原発ゼロ運動を推進するに至ったという。会場はジャーナリストらで満員盛況であったという。毎日新聞専門編集委員の山田孝男氏は次のように記している。

 〈毎週、新聞コラムを書いて六年になるが、「小泉純一郎の『原発ゼロ』」ほど反響のあった回はなかった。新聞の読者はもとより、雑誌、テレビ、書籍編集者から多くのお便り、問い合わせをいただいた。元首相の発信が民心をとらえ、力強い底流を生み出していると考えるゆえんである〉(「文藝春秋」2013年12月号)

 何がそんなに多くの人を魅了したのだろうか? そこにいくつかの話術の特徴が見えてくる。

 第1に、話し手の本気度である。普通はあらかじめ用意された原稿を、ときにプロンプターを見ながら読んでいくだろう。超満員の日本記者クラブが会場なら、緊張も高まる。しかしながら、小泉の手元にはメモ程度のものがあるだけで、実際は聴衆を見つめながら、即興で、自分の言いたいことをずっと話し続けるのである。第2に、話す際のスピードに実に緩急があり、リズムを大切にしているという点も興味深い。少し長くなるが、具体的に見てみよう。句点はポーズを示している。

 「もう一つ、これが一番の、原発、ゼロ、批判、の中心だと思うんですけれども、どう言っているかというと、原発、必要論者推進論者は、ゴミの処分法は、いわゆる、核の廃棄物ですね、まあゴミと言いましょう通称、核廃棄物の処分法は技術的に決着しているんだと。問題は、処分場が見つからない、ことなんだと。ここまでは私と一緒なんですよ、ここからが必要論者と私の持論、違うところなんです。こっから必要論者はどう言っているか、処分場の目処がつかないという、それは、目処をつけるのが、政治の責任ではないかと、つけないのがいけないんだと。これが必要論者の、私は、中心だと思うんです。私は結論から言うと、(4秒の沈黙)、これから、日本においてですよ、核のゴミの最終処分場目処をつけれると思う方がよっぽど楽観的で無責任すぎると思いますよ」

 ポーズを機械的に一定間隔に入れて話しているのでは決してない。例えば、冒頭を見てみよう。ポイントは、一つ一つの言葉についてポーズをゆっくりと挟みながら、話しているところだ。よく聞くと、それぞれの言葉が、話し手の主張をそのままメリハリを利かせて繰り返されている。「もう一つ」、「これが一番の」、「原発」、「ゼロ」、「批判」、「の中心だ」という言い方である。普通はポーズもなく、一気にさっと話していいところだ。しかし、小泉はポーズを使うことによって、それぞれの言葉を独立させ、強調を与え、際立たせることに成功している。そして、ポイントは、そのそれぞれの言葉がまさに主張したい点を、そのまま象徴しているというところだ。

 さらに注目したいのは、このポーズを使うというスタイルがいつもそうではなく、全くポーズのない、流れるような流暢さで言葉が続くこともあるという点である。最後になると、「私は結論から言うと」で始まる言葉の後、約4秒もの沈黙(ポーズ)が始まる。そして、それから一気に、結論が述べられていく。「核のゴミの最終処分場目処をつけれると思う方がよっぽど楽観的で無責任すぎると思いますよ」である。結論が一気に崖を降りるかのように、表現されていく。ポーズと流暢さ、この二つを実に効果的に使い、聞き手の興味、関心を盛り上げていることがわかってくる。


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筆者

東照二

東照二(あずま・しょうじ) 米ユタ大学教授

1956年、石川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。テキサス大学で言語学博士号。専門は社会言語学。著書に『歴代首相の言語力を診断する』(研究社)、『言語学者が政治家を丸裸にする』(文藝春秋)、『オバマの言語感覚 人を動かすことば』(NHK出版 生活人新書)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです