右田千代(みぎた・ちよ) 日本放送協会エグゼクティブディレクター
1965年、東京都生まれ。88年、日本放送協会入局。主な担当番組にNHKスペシャル(以下同)「ヒロシマ・女の肖像」「原爆投下10秒の衝撃」「隣人たちの戦争~コソボ・ハイダルドゥシィ通りの人々」「被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故」「きのこ雲の下で何が起きていたのか」「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る」ほか。2010年、「放送ウーマン2009」賞受賞。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
時代がその時を待っていた よみがえった音声テープ
なぜその資料が日の目を見ることになったのか。今なお、不思議な縁を感じる。
本来、歴史の闇に葬られていた資料であった。それは「なぜ太平洋戦争を始めたのか」、そして「なぜ負けたのか」を語り合ったある会議の録音テープと議事録である。
この会議を特別なものとしているのは、参加者の多くが戦争を遂行した当事者であり、責任の一端を負う立場にある者たちだったからだ。つまり、日本人だけでも310万人が犠牲となった戦争について、自らの過ちを問い、責任に向き合う会議であった。
彼らは、その中で、知ることを包み隠さず語ることを互いに課していた。だからこそ、そこで語られる内容は「門外不出」と決められていた。
月に1回のペースで、彼ら以外の誰にも知られることなく、粛々と会議は続き、歳月の経過とともに参加者が高齢化する中、130回を超えて以降、記録は途絶えた。そして、全ての会話を記録した音声テープ225本と膨大な資料が残った。
参加者同士の約束事として、発言者が存命中は封印されるはずだった。しかし、そこには現代との接点となる人物がたまたま関わっていた。この「人の縁」が、時代を超えて、資料を伝えていくことになる。
会議の名前は「海軍反省会」。
私たちがこの資料を目にした時は、会議が終わってから15年たっていた。それまで「海軍反省会」の名を聞いたことすらなかった。資料を前にした時、「特ダネ」という言葉は思い浮かばなかった。むしろ、歴史の闇の向こう側から忽然と立ち現れてきた資料に、一体そこで何が語られているのだろうという恐れと緊張感を抱きながら、取材は始まった。
結果的に、それは私たちが知るべき歴史の空白を埋める資料だった。本稿では、海軍反省会の音声テープが世に出るまでの過程を中心にお伝えする。
時代を超えて人類が共有すべき歴史の記録が、人と人とのつながりによって、かろうじて伝えられていく、奇跡のような実情があった。