(1)「社外取締役の私に途中まで対策をすべて任せた」
2012年01月12日
▽構成:週刊朝日・山本朋史、朝日新聞・村山 治
▽この記事は2012年1月10日発売の週刊朝日に掲載されたものです。
▽関連資料: 2009年2月3日の村上ファンド事件控訴審判決(裁判所ウェブサイトへのリンク)
▽関連資料: 2007年7月19日の村上ファンド事件一審判決要旨
■阪神電鉄のコーポレートガバナンスを問う
村上氏と、彼が取得した阪神株をどうするか折衝をしていたときは、私は阪神電鉄の社外取締役でした。4期8年在任し、06年6月29日の株主総会で退任しています。
世の中の人は、「村上はとんでもない乗っ取り屋で、銭ゲバで、うまいこと逃げた」としか思っていないでしょう。私に言わせればそれは間違いです。彼はその後も陰徳を積んで、NPO団体をサポートして多額の私財を投じています。東日本大震災があったあとも、彼はNPOのなかに紛れ込んで、シンガポールから馳せ参じて炊き出しなどをしている。このままでは誤解されたままだから、話をしたらどうかと勧めました。しかし、まだ表には出たくないと言う。
彼と同じように、私も浮かばれない面もありました。誤った報道によりマスコミにたたかれたし、あのときに阪神電鉄が私にとった態度は許せません。それで合併劇を通じて、コーポレートガバナンス、会社というものは何だったのかをもう一度ふり返ってみようと思ったのです。
玉井英二氏といえば、住友銀行副頭取時代にイトマン事件で、あえて磯田一郎会長に捨て身で諌言し銀行を危機から救った著名なバンカーだ。大昭和製紙の経営立て直しなどにも敏腕をふるい、銀行退任後は住友クレジットサービス会長などを務めた。07年からは製造日改ざんなどで問題となった和菓子の「赤福」の立て直しのため会長を務めている。乱世に活躍した経営のプロである。
村上氏が東京地検特捜部にニッポン放送株のインサイダー取引容疑で逮捕されたのは06年6月。一審は懲役2年の実刑を言い渡されたが、二審では懲役2年執行猶予3年(最高裁で確定)とされた。村上氏に当初インサイダーに該当するという強い認識がなかったことなどを、実刑をさけた理由にあげている。
■前時代的な体質による不幸
あとから説明しますが、阪神のような企業対応は、大なり小なりほかの会社にも共通して巣くっている前時代的な体
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