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桜の季節に安部公房を

閉塞したいまの言論空間を彼ならどう評するだろう

石川智也 朝日新聞記者

拡大サクラの姫路城。大天守を囲むように咲き乱れる満開の桜=2019年4月8日、映像作家・藤原次郎さん撮影

 東京ではとうに散ったが、桜前線はまだまだ列島を北上中だ。

 桜の季節になると、条件反射のように安部公房を連想してしまう。そしてその作品を読み返すということを毎年繰り返している。群衆の喧噪を離れてぽつねんと、数学者さながら論理的で精緻な思索を続けた孤高の作家の言葉がとくに近ごろ頭蓋内に居座り続けているのは、今年がやはり特別な年だからだろう。

 ぼくは桜の花が嫌いだ。闇にたなびく雲のような夜桜のトンネルをくぐったりするとき、美しいとは思う。美しくても嫌いなのだ。日本人の心のなかに咲くもう一つの桜のせいだろう。たとえば舞台の書き割りに、それもチンク・ホワイトなどではなく、貝殻の粉を原料にした胡粉の白で描かれた桜。外国人には美学的にしか映らなくても、日本人には情念の誘発装置として作動する強力な象徴なのである(『死に急ぐ鯨たち』より)

 桜が日本を象徴する花であることは言うまでもないが、もうひとつのこの国の象徴が、間もなく代替わりを迎える。

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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。岐阜総局などを経て社会部でメディアや教育、原発などを担当。2018年4月から特別報道部記者。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学感染症情報分析センターIDIA客員研究員。共著に「それでも日本人は原発を選んだ」(朝日新聞出版)等

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