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難しい水利権

 水は、恵みと災いをもたらすため、かつてから、水との付き合い方は争いの種だった。治水で言えば、上流と下流の争い、右岸と左岸の争いがある。上流で水が溢れることで下流が救われるので、上流と下流の争いが生じる。また、右岸と左岸の堤防の高さで決壊する堤防が決まる。例えば、筆者が住む地域の川は尾張藩の城下側の堤防が高い。

拡大1976年台風17号で長良川(左中)の堤防が決壊、冠水した岐阜県安八町。右は揖斐川、左奥が木曽川=1976年9月13日

 利水に関しても同様で、上流と下流の水利権の争いは絶えなかった。近年は、用途上の争いもある。最初に河川の水を利用したのは農業である。当初は湧水やため池の水を使っていたが、堰や水車で河川の水をくみ上げ用水を整備して新田開発をした。このように河川の水を最初に農業に使ったため、農水の水利権は大きく、水使用量の2/3は農業用水が占めている。ちなみに、農業に必要な水の量は、田植え前のしろかきの時期、かんがいの時期、その他の期間で異なるので、農業用水の水利権の水量は、時期によって異なる。

 次に整備されたのは上水道である。人が集まる都市では飲み水が不足する。かつては湧水や井戸水を使っていたが、都市を中心に上水道が整備された。上水の使用量の季節変化は小さい。このため、河川の流量変動や季節による農業用水の水利権の違いを利用し、余剰の水をダムで蓄え、それを利用した。

 最後に整備されたのは工業用水である。産業の維持に必要となる工水は、我が国の産業規模が大きくなるに従い

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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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