2020年10月11日
依然として「権力とメディア」の関係が問われ続けている。菅義偉政権の誕生後も、それは変わっていない。首相と番記者による「オフレコ懇談」は、その象徴だ。すでにあちこちで論評されているが、実際にはどんなことが生じているのか。過去の事例とも比較しながら考えたい。
菅政権発足後に限って言えば、政権取材の在り方が最初に問われたのは、10月3日(土曜日)の朝に東京・渋谷の飲食店で行われた「内閣記者会に所属する記者との飲食を伴う懇談会」である。
その飲食店がパンケーキで有名だったことから、ネット上では「パンケーキ懇談会」などと称されている。もともと菅首相はパンケーキ好きとされており、あえてパンケーキで有名な店を開催場所に指定するあたりは、宣伝臭も漂う。
このオフレコ懇談はどういうプロセスで進んでいるのだろうか。匿名を条件として筆者に対応してくれた複数の記者らによると、まず、首相官邸からの連絡を受け取った「内閣記者会」(官邸記者クラブ)の幹事社から記者会の加盟各社に対し、官邸側の意向として以下の趣旨が伝達された。
・急な話で申し訳ないが、菅総理と内閣記者会加盟の常勤19社に所属する総理番記者との「完全オフレコ」の懇談を開きたい。
・10月3日と10月10日(いずれも土曜日)の朝8時から。「朝食懇」という形。首相秘書官も参加する。
・総理番登録記者だけで58人に上るので、2回に分けることにした。全社の記者が出席できるようにしたいため。
・休日の早朝で申し訳ないが、菅総理は官房長官時代も土曜日にも懇談会を開催したことがあるのは、各社承知だと思う。協力をお願いしたい。
10月3日のオフレコ懇談会には、以下の16社が参加したとされる。
列挙すると、新聞は毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、北海道新聞(本社・札幌)、西日本新聞(本社・福岡)、中国新聞(本社・広島)、ジャパンタイムズの8社。
通信社は、共同と時事の2社。
テレビはNHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の6社。
朝日新聞と東京新聞、京都新聞の3社は欠席した。3社は、それぞれの紙面記事やHPで不参加の事実と理由を説明している。
◎朝日新聞
菅義偉首相は3日午前、東京都渋谷区のレストランで、内閣記者会に所属する記者と食事を共にする懇談会を開いた。
◇
朝日新聞の記者はこの懇談会を欠席しました。首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり「法に基づいて適切に対応した結果です」と記者団に答えるにとどめています。朝日新聞は、首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。
◎東京新聞
菅義偉首相は3日、内閣記者会に所属する記者と都内で会食しながら懇談しましたが、東京新聞は欠席しました。
東京新聞は、首相が懇談ではなく、9月16日以降開いていない記者会見を開き、日本学術会議の会員任命拒否など内外の問題について、国民に十分説明することが必要という考えです。臨時国会の早期召集も求めています。このため懇談には出席しない判断をしました。
京都新聞は10月9日朝刊のコラム「プリズム〜東から」において、「首相懇談会」と題する記事を東京駐在の政治担当記者が署名入りで書いている。メディアと権力の関係を意識したもので、ジャーナリズムとは何かを改めて考えさせる内容だ。主たる部分を以下に抜粋しよう(コラムには下記の引用部分以外の続きがある。それは後述する)。
新型コロナウイルス対策や日本学術会議の会員任命拒否問題を巡る説明が求められる状況にもかかわらず、首相は就任時を除き、広く開かれた形での記者会見を実施していない。国会も開こうとせず、国民に対して所信表明すらない。ゆえに、見聞したことを記事にしない「完全オフレコ」が条件の飲食付き懇談会には参加できない。
いずれもオフレコの縛りがある懇談であれば、菅首相の発言を記事にできないため、目下の情勢を考えれば、公開・公式の記者会見を先に開催せよ、という立場である。
これら3社の立場が表明されたことに伴い、ネットメディアなどはこれを伝え、SNS上でも拡散された。それも影響したのか、10日朝に予定されていた総理番記者の2度目懇談会は見送りになったようだ。
一方、3日のオフレコ懇談の開催前、雑誌やネットメディアなどから記者会に対し、「総理と番記者の懇談が開かれる予定と聞いたが、それは事実かどうか」といった照会が複数寄せられたようだ。
それに関し、記者会側は大意、次のような判断を下した。この内容は内閣記者会加盟の各社で共有されている。
・外部メディアからの照会に関して幹事社で検討したところ、「取材の過程に関することなので、懇談が開かれるかどうかについてはお答えできません」と回答することにした。
・オフレコである以上、開催されるかどうかの事実も外部に伝えるのは適当でないと判断したため。
いま、産経新聞記者と朝日新聞社員が元東京高検検事と賭け麻雀を繰り返していたことを契機として、「取材プロセスが適切かどうか」が重要なポイントとして浮上している。にもかかわらず、記者会側の対応はその点を全く考慮していないように映る(『黒川検事長と賭け麻雀をした記者は今からでも記事を書け』『「賭け麻雀」をこれで終わらせていいのか』参照)。
首相とのオフレコ懇談会は、番記者によるものだけではない。記者会加盟各社のキャップが首相と向き合う「キャップ懇談会」もある。これも近々、菅首相との間で行われるもようだ。
首相の番記者は、入社数年から10年以下という若い人が担うケースも多い。これに対し、キャップは普通、入社20年前後より上の世代が担っている。キャップ懇談会は慣例として年2、3回開かれているが、当然、完全オフレコである。
この「完オフ」を事前に承諾して参加する以上、発言者を「政府首脳」などとぼかしたとしても発言は記事にできない。
安倍晋三首相の時代、毎日新聞はキャップ懇談会に参加しなかったことがある。昨年11月20日夜、自民党本部に近い中華料理店。「桜を見る会」に関する疑惑追及が野党やマスコミ各社によってピークに達していた時期だ。参加費は割り勘で1人6000円だったとされている。
菅首相との10月3日の番記者懇談会には出席した毎日新聞が、なぜ、安倍首相とのキャップ懇談会を蹴っ飛ばしたのか。
毎日新聞の取材班が出版した『汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞出版、2020年2月刊)の第4章「記者VS安倍官邸」でその経緯や当時の考え方を高塚保・政治部長が明かしている。この時のキャップ懇談会も官邸側からの呼びかけだった。
首相との懇談は国の最高権力者の生の声を聞ける貴重な取材機会です。それ自体は否定しないし、実際、うちの記者もずっと出席してきました。ただ、今回は桜を見る会に関する首相の説明責任が果たされていない中での申し出でした。完オフである以上、そこでの取材内容は報道できません。それでは、きちんと説明してほしいというメディアに対する回答になっていない。内部で検討した結果、出るべきでないという判断になりました。
もっとも、完全なオフレコ懇談であるといっても、驚愕するような発言が出る可能性はほとんどないだろう。十数人、場合によっては20人以上もの記者が参加する形態は、非公開・非公式の「裏の記者会見」のようなものだ。そんな場所で、極めて重要な事実は明かされないし、どちらからかと言えば、文字とおりの懇談、懇親会である。
筆者は北海道新聞の記者時代、小渕恵三首相(故人)や小泉純一郎首相とのオフレコ懇談会に何度か出席したが、それに限っても重要情報や真の考えが披瀝されることはなかった。
本当に価値あるオフレコ取材があるとすれば、それは1対1の場でしかあり得ない。
一方で、「オフレコ」を破ったことで、社会や政治が動いたこともある。最近の顕著な例としては、沖縄防衛局長の懇談に関する琉球新報の対応がある。
問題が起きたのは、2011年の11月28日夜のことだ。東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故から8カ月余りしか過ぎておらず、社会の大きな関心は依然として震災対応に向いていた時期でもある。
舞台は那覇市内の飲食店。沖縄防衛局長を取り囲む記者懇談会が防衛局側の呼びかけで開かれ、全国メディアの沖縄駐在記者や地元メディアの記者ら10社から参加があった。当然、オフレコが前提である。
当時、沖縄では辺野古の新基地建設をめぐって、予定地の環境影響評価(アセスメント)の評価書を防衛省が同年内に提出するのかが焦点になっていた。ところが、その時期を防衛省側がなかなか明らかにしない。そのため、この日の懇談会でも記者たちはそれが気になっていたに違いない。局長から驚くべき発言が飛び出したのは、酒も入り、宴たけなわとなった時だった。
当時の報道によると、環境アセス評価書の提出時期を防衛大臣が明言しないのはなぜかと問われた防衛局長は「これから犯しますよと言いますか?」と述べたという。
この発言が問題になった後、局長は防衛大臣に対し、「やる前にやるとか、いつ頃やるとか言えない。いきなりは乱暴だし、丁寧にやる必要がある。乱暴にすれば、男女関係なら犯罪になると言った記憶がある。犯すと言った記憶はない」と釈明したとされている。いずれにしろ、発言が明らかになった結果、世論は猛反発し、局長はただちに更迭された。
前述した通り、この懇談会はオフレコであり、その場での発言は報道しない約束になっている。しかし、地元紙の琉球新報はオフレコであっても許せない発言だと判断し、掲載前に防衛局側に掲載する旨を通告。翌11月29日の朝刊1面でこれを報じた。その後、琉球新報の報道に引きずられる形で他メディアも追随して報じた。
琉球新報がオフレコを破った理由は何か。当時の編集局長は紙面でこう語っている。
政府幹部による、人権感覚を著しく欠く発言であり、今の政府の沖縄に対する施策の在り方を象徴する内容でもある/非公式の懇談会といえども許されていいはずがない。公共性、公益性に照らして県民や読者に知らせるべきだと判断した。(2011年9月30日朝刊)
琉球新報のオフレコ破りに関しては、懇談会に参加した他メディアから「約束違反は許されない」「これによって懇談がなくなれば、貴重な取材機会が失われる」といった批判も相次いだ。
確かに、現場記者やメディア幹部も悩んでいる。先に紹介した京都新聞のコラムも菅首相の完全オフレコ懇談への参加見送りは、目下の情勢では「ジャーナリズムとして当然の姿勢だ、と思われるかもしれない」と記しつつ、後半では「一国の首相が裃(かみしも)を脱いだ時に何を語りどんな表情をするか。見てみたい好奇心もある」と綴り、最後は「みんな悩んでいる」と締めくくっている。
だが今は、記事そのものと同等に、取材のプロセスやメディアの立ち位置がこれまでになく厳しく問われる時代だ。
オフレコ懇談会への参加が適切かどうか。政治家らはオフレコ懇談の開催を会見回避に使っているのではないか。オフレコ破りが許されるとしたら、どんなケースなのか。オフレコ懇談自体をやめるべきではないか――。オフレコ懇談に限っても論点はいくつもある。
新聞・通信・テレビのマスコミ各社は、企業内でも業界横断的にも真剣な議論を続けたほうがいいと筆者は考えている。その姿勢を国民はじっと見ている。
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