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コロナがこの世に出現したわけ~仏教からの視点

自己とは何ぞや? ~皆で大物に成ろうよ~

藤森宣明 ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

日本人としての自己を浮き彫りにされて                                                                                                                                                         

 もう一つ、自己を問われた出来事がありました。皆さんは、日本人としての自己を浮き彫りにされた経験がありますか? 

 ちょうど日本がバブル期を通りすきだ1994年のことです。私は、東北タイのドンヤンという森にいきました。森には大木が繁っていて、日本企業がそこから木材を買っていました。そこに住むプラチャックというお坊さんから学ぶために、私は、その森にいきました。

拡大タイのお坊さんプラチャック氏。手前にあるのは筆者が所持した荷物=1994年2月、カンボジアとの国境付近で(筆者撮影)

 プラチャック氏は、元ギャンブラーで、借金の取り立てにいったときに銃で撃たれたのですが、生き残ったので出家したという、元ヤクザのような面白い経歴を持ち、そして、森にある大木に、黄色い衣を着せて、他のお坊さんや村人たちと共に、樹の前で、お経を読んで樹に出家させるお坊さんとして有名でした。

 しかし、タイ政府は、商業林を売ると経済的に潤うので、そんなプラチャック氏を何度も逮捕しようと試みていました。

 私が驚かされたことの一つには、プラチャック氏は、お経に書いていることを頭で理解するのでなく、身体を通して読むお坊さんだったことです。プラチャック氏は小学校しかでていません。「お経は単に頭だけで読むのではない。虫や樹々と共に救われると経典は説いているだろう」と私に言いました。森の中にいて、実際に樹や虫と共に生きる生き方を教えてくれたのです。

 たとえば、寝る前に一人用のテントを張るのですが、その前に、テントを張る場所を入念にたたいて、虫さんに、これからここで寝ますので、ちょと場所をあけてもらうようにお願いすることを教えてもらいました。

 私は、自分の背中に、そして両手に、自分の私物ばかりを持って歩いていたのですが、プラチャック氏にその在り方を問われました。「あなたは、両手をすべて自分のために使っているだろう。片手を空っぽにしてごらん。そしたら、他の人、生きとし生けるもののために、一つ手を使えるだろう。手は常に空っぽにしておかないと」と言われました。

 日本では、日本の仏教者は大乗仏教で、東南アジアの仏教は小乗仏教だと習っていました。大乗仏教とは、他と共に救われることを使命としている教えです。しかし、日本で頭で習ったこととは正反対に手をふさいでいた私は、自分のためにだけ生きている。しかし、プラチャック氏は、他の人、人間ばかりでなくて、生きとし生けるもの、木々と共に救われようとして実際に生きていました。この体験で、私は日本人として、仏教者としての自己を問われたのです。

生まれたままの自己を問う

 アメリカは、哲学や思想が不毛な国と言われます。実際、コロナの出現でハワイ大学は財政が厳しくなり、カットする候補にあがっているのが、思想や平和などの施設です。今、宗教学部を廃止する話が出始めています。平和を創る学生や地域の人達を育ててきた、ハワイ大学にあるマツナガ平和インスティチュートも廃止の対象にあがっています。

 コロナ出現は、この方向を望んでいるのでしょうか? もちろん科学的根拠を引き出すための科学は大切です。科学的根拠まで無視して政治をすすめたアメリカ大統領もいました。でも、困難の中で、生きる根拠を、生きる力を、生きる方向を世に示して貢献できるのものこそ、思想、哲学、宗教、文学なのではないでしょうか?

 我々が生きている今、危機意識をあらわにして、国連事務総長は「人類は、自然に対して戦争をしかけています」と訴えます。「自然との平和」を取り戻すため、平和を想像する教育はとても大切です。コロナは、コロナとの平和関係の構築を望んでいるのではないでしょうか?

 思想不毛の地と言われるアメリカですが、ウイリアム・ジェームスという哲学者が出ています。彼は、人間は二度生まれる。それは、「生まれ落ちたままの人〈once-born〉」と「生まれ変わる人〈twice-born〉」に分けられると言います。

 彼の哲学で考えると、私はインドでの体験、タイでのプラチャック氏との出会いを通じて、「生まれ落ちたまま」であったことを問われたのです。自己を疑い、「生まれ変わる」自己をみいだしなさいと言われたように感じたのです。

 コロナに「自己とはなんぞや」と問われ、その答えとして、私がインド放浪以前、タイでの体験以前の「生まれ落ちたまま」の自己を提示したら、「そんな答えではダメだ」と言われるでしょう。みなさんはどうですか? 生まれたままですか? それとも、生まれ変わった自己として生きてますか?

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筆者

藤森宣明

藤森宣明(ふじもり・のりあき) ハワイ・ホノルル・パロロ本願寺開教使

1958年生まれ。アイヌの人々が住む北海道の大地に育ち、ハワイ先住民が「開発」に直面して苦悩する姿を知り、ハワイ・カウアイ島に渡る。ハワイ先住民とアイヌの交流プログラムを立ち上げ、先住民目線で開発問題に取り組む。タイやフィリピンを中心とする東南アジア、ブラジルなど南米にも活動範囲を広げる。宗教、先住民、開発という視点から「生きるということ」の意味を問い続けている。photo by Lighthouse Hawaii

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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