白崎朝子(しらさき・あさこ) 介護福祉士・ライター
1962年生まれ。介護福祉士・ライター。 ケアワークやヘルパー初任者研修の講師に従事しながら、反原発運動・女性労働・ホームレス「支援」、旧優生保護法強制不妊手術裁判支援や執筆活動に取り組む。 著書に『介護労働を生きる』、編著書に『ベーシックインカムとジェンター』『passion―ケアという「しごと」』。 2009年、平和・ジャーナリスト基金の荒井なみ子賞受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
クラスターが起きる支援施設、なのに学校連携観戦か?
「ええっ?! 入所者さんたちの1回目のワクチン接種が、8月24日なの? その日は、パラリンピックの開幕日じゃないですか!」
障害者支援施設A(以下、施設A)の管理者の澤井さん(仮名)から、障害ある入所者のワクチン接種の状況を聴き、私は驚愕のあまり叫んでいた。高齢の障害者にすらワクチン接種がなされていない苛酷な現実だった。
澤井さんは、「いつクラスターが起きても不思議ではない」と昨年春から、クラスター発生時の対応マニュアルを作成。医療用マスクなどの感染防護物資も備蓄していた。また今年の春から、行政の助成を受け、唾液によるPCR検査を職員全員に毎週実施しており、7月までは、ずっと「全員陰性だった」という。
だがオリンピック開幕を控えた7月、職員の1人が発熱。検査の結果、陽性と判明した。5日後には入所者の陽性も判明し、入所者と職員全員にPCR検査を実施。すると入所者の9人が陽性だとわかった。
昨年からずっと怖れていたクラスターがついに発生した。
クラスターが発生したと聞き及んでから1ヶ月間、澤井さんから実態報告を聴くたびに、私は言葉を失った。折しも、オリンピックの最中であり、金メダルの速報が携帯電話にガンガン入り、テレビもオリンピック中継で埋め尽くされていた。テレビを消しても、歓声や矯声が耳から離れなかった。
一方、障害者施設のクラスターについては、施設の名を伏せた匿名報道すらも見当たらなかった。施設Aのクラスターの実態を傾聴することしかできない日々のなか、「金メダル獲得!!!」と連呼するアナウンサーの満面の笑みを見るのは、地獄だった。
「日本人」の金メダルラッシュに浮き立つ世界から、ひとり取り残されていた。
私は、オリンピックの渦中におきたクラスターを前に、無力感に苛まれた。昨年4月に起きた北砂ホームのクラスターに始まり、沖縄、大阪の西成地区、広島、横浜、札幌のクラスター現場に、市民運動の仲間たちの力を借りて応援物資やメッセージを送り、現場の声を聴いて記事にしてきた(コロナ・パンデミックのただ中で、介護職員らはいのちによりそっている【上】 【下】)。
しかし施設Aで起きたクラスターには、ワクチンの優先接種の問題と、医師や専門家が開催前から危惧していたオリンピックとパラリンピックの開催による感染拡大の問題が重層的に絡んでいた。そのため、クラスターの原因と推察されることやそれに伴う問題の位相が、今まで私が取材してきたものとは、明らかに違った。
最初は9人だった陽性者は、1週間も経ずして16人に拡大。同じ敷地内の使用していない建物を片付け、感染者をすぐ隔離した。職員たちは防護服や医療用マスクを装着し、汗だくになりながら、そして、何よりも感染の恐怖と対峙しながら、懸命に介護・看護した。
感染者のうち入院できたのは約半数。それも、「積極的な治療を望むならば搬送先はないです。待っている人がたくさんいますから、5分で判断してください」などと救急隊員から言われての搬送だった。
そう言われた入所者は認知症もあった70代。熱痙攣があり、朝の酸素飽和濃度は88という状態だった。
私は、改めて「医療崩壊」と報道されている実態に戦慄した。のちに澤井さんから、ゆっくり話が聴けたとき、搬送された入所者のほとんどが積極的な治療がされない病院に入院し、「入院できただけマシだった」ということがわかった。
積極的治療がなされないということに施設長や家族が“同意”しなければ、入院はできなかった。「それでも施設にいるよりは、100倍いいです」と語る職員もいた。
澤井さんによれば、連絡を取り合っていた自治体の障害福祉課の担当者が、澤井さんの勤務先施設の関係機関等に強く働きかけ、待機を余儀なくされていた入所者も徐々に入院できていったという。