「オリ・パラ」は一つの言葉となり人々の意識を変えた。社会はどう発展していくのか
2022年03月02日
2月24日、北京パラリンピック(3月4日から13日まで、6競技実施)に出場する日本選手の結団式と記者会見が、新型コロナウイルス感染防止対策のため出席者を限定するなかで行われた。日本からはアルペンスキー、バイアスロン、スキー距離、スノーボードに29選手が出場する。
開幕前日の3日に25歳となる村岡は、2回目の出場となった18年の平昌五輪で旗手となり、金を含む5つのメダルを獲得した。1月のトレーニング中に腕を負傷し不安は残るが、3回目の出場となる今大会は名実とも「エース」となる。
男子スノーボードハーフパイプの平野歩夢(23=TOKIOインカラミ)は昨夏の東京でスケートボードに出場し、日本五輪史上5人目の夏冬出場を達成。わずか半年ほどの期間で本職に戻ると、世界初の大技を決めて金メダルを獲得した姿は強烈なインパクトを残した。北京パラリンピックでも、かつてないほど多くの選手たちが二刀流と、短期間での切り替えに挑戦する。
主将の村岡は、約2年、かねてから念願だった陸上競技での五輪出場を目指してトレーニングに専念し、東京では100㍍に出場。6位入賞を果たして雪上に戻ってきた。
「平昌から東京での陸上出場を目指す間、全てがスキーとは違っていましたが、競技への対応力だけではなく、あらゆる点で成長できたと感じています」と振り返る。陸上のトレーニングに専念したため体幹が強くなり、二刀流はバランス感覚やスピードに好影響をもたらした。今季はW杯6勝などレベルアップにつながったと手応えを見せる。
視覚障害のクロスカントリーに出場する有安諒平(ありやす・りょうへい、35=東急イーライフデザイン)は昨年の東京ではボートに出場し、ノルディックスキー距離とバイアスロンに出場する佐藤圭一(42=セルフォースジャパン)も、トライアスロンに出場している。
今大会日本選手団の河合純一団長は、かつて競泳の視覚障害のクラスで五輪6大会に出場し、金メダルを含む21個のメダルを獲得したキャリアを持つ。夏冬二刀流選手が、パラにも多く存在する現状にこう期待を寄せる。
「選手の努力はもちろん、二刀流の存在はそれだけパラ選手の競技環境が、社会やスポーツ界で少しずつ理解されるようになった証でもある。障がいがあるからできない、ではなく、自分の限界を決めず、競技者としての能力をさらに引き出そうとする姿は色々な面でポジティブなメッセージにもつながります」
「人見知りで内向的な殻を破って」と話す村岡(埼玉県深谷市出身)は、昨夏の東京で夏冬出場を果たし、競技者としてスポーツの既成概念の殻を大きく突破した。大学進学、大学スポーツ界でも「殻を破って」周囲を変えた経験を持つ。
4歳で「横断性脊髄炎」に感染し、麻痺のために車いす生活に。中学から座位で行うチェアスキーに取り組んだ。
大学受験を前にした高校2年の頃、早大スキー部の当時監督・倉田秀道氏(あいおいニッセイ同和損保)は進学の相談を受けたが、寮生活が原則とされる体育会スキー部にバリアフリーなど設備はなく、「受け入れは難しい」と、一度断った。
ある時、同じ合宿先で再会し、悪天候のなかで黙々とトレーニングに臨む姿に、「これだけの情熱、実力、根性を備えているのに、車椅子だからと断り、芽を摘むのは間違いだ。ほかの学生と同じ機会を与えるよう、こちらが変わればいいのでは……」と、気付かされた。
「東京五輪に向けて両者はひとつの言葉。差別なく多様性を認めるべきと説得しました。彼女はどんな壁でも努力できるなら、と諦めませんでしたし、学生たちも、真面目に同じスキーに取り組んでいる選手を受け入れるのは当然、と判断してくれた」
その後、大学が数百万円を投じて寮のバリアフリー化をはかった話は知られている。しかし倉田氏は設備以上に、たった1人の車いすアスリートの存在が部員、OBを含めた部の伝統や歴史、大学全体にもたらした「心のバリアフリー化の浸透ぶりとスピードに驚かされた」と振り返る。
北京五輪ノルディック複合団体では、早大スキー部OBの渡部暁斗・善斗兄弟、永井秀昭、アンカーとして逃げ切る好走を見せた山本涼太が28年ぶりの表象台に立って銅メダルを手にした。村岡にとって同じ寮で共に練習した先輩、後輩たちの大活躍が励みであり、彼らにとっても「殻を破った」スキーヤーを間近で見た経験がプラスとなった。
2013年9月、
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