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香港「雨傘革命」の火は消えない

民主化を求める声は世界に届いた

藤原秀人 フリージャーナリスト

 香港の民主化を求める「雨傘革命」がついに行き詰まった。

 9月末に始まった学生らによる中心街の占拠活動は、香港政府や中国から民主化に向けた成果を得られていない。一方で香港の暮らしを支えるビジネスや観光に支障をきたし、多くの市民の支持を失ってしまった。香港大学の最近の調査によれば、市民の8割近くが占拠の継続に反対だった。

官庁街・金鐘(アドミラルティ)の占拠現場で会見し、警察に殴られてできた自分の傷の写真を示すデモ参加者たち=香港拡大官庁街・金鐘(アドミラルティ)の占拠現場で、警察に殴られてできた自分の傷の写真を示すデモ参加者たち=2014年12月7日
 占拠活動を提唱し、学生らと一緒に活動してきた香港大学の戴耀廷・副教授ら3人は、占拠が長期化し、一部に暴力的な抗議も出てきたため、10月末に活動の表舞台からは退いた。

 その戴氏らは12月3日、不法占拠の罪を償うために警察に出頭し、占拠を続ける学生らにも「占拠が唯一の戦い方ではない。安全のため撤退しよう」と呼びかけた。

 亜熱帯の香港だが、冬は最低気温が15度戦後となり、香港市民にとっては寒いと感じる。就職や試験のため、大学生は次第に撤退していくだろう。

 中高生らを率い、世界的に有名になった18歳のリーダー黄之鋒氏らはハンストに入ったが、これも寒さのなかで長く続けられるわけがない。いずれ撤退を余儀なくされるだろう。

 しかし、パラソルで警察の催涙ガスを防いだ「雨傘革命」は敗北したわけではない。 ・・・ログインして読む
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筆者

藤原秀人

藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト

1980年、朝日新聞社入社。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。

1980年、朝日新聞社入社。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長を経て、2014年9月より国際報道部。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。

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