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喜界島に生まれて(2)東京は、通過点だ

東京がゴールだったら、心が折れていたかもしれない。でも、目指すは世界だ

住岡尚紀 明治学院大学生

 明治学院大学に入った2014年、関東で大学生になった26万9698人のうち、鹿児島県から来たのは961人だった(文部科学省学校基本調査)。僕もその1人にカウントされているのだろう。

 18歳まで島で育った僕は希望に満ち溢れ、怖いもの知らずだった。東京に着いた日、試練はいきなり来た。同じホームでも電車によって行き先が違う事を知らず、僕は違う列の先頭に並んでいた。乗るべき電車が到着してそれに気付き、慌てて乗り込もうとしたら、見知らぬおじさんに舌打ちをされ、キャリーバックをいきなり蹴られた。横入りをしてしまった自分に非があると思って「さっきはすいませんでした」と謝ると、おじさんはぱっと顔を上げ、目を見開きながら鼻筋にY字の皺を寄せて一言、「消えろ」。

 いろんな感情が爆発し、涙が溢れ出て止まらなかった。その場にいた乗客たちはみんな見て見ぬふりをしている。何事もなかったようにスマホに目を向けている。

 島ではひとりひとりの顔が見えすぎた。ここではひとりひとりの顔がまったく見えない。「これが東京か」。すごいところで生きていくんだなと実感した。

人生初の職務質問

拡大東京都心の夜景
 入学してまもなく、大学でできた友達に呼ばれ夜中に駅前を自転車で通り過ぎようとした時のことである。パトカーとすれ違った。何か事件でもあったのかと思っていたら、そのパトカーがUターンをして僕の前に停車した。

 「ちょっとすいません」。お巡りさんが声をかけてくる。人生初の職務質問だ。いろいろ尋ねられながら、身分証を提示させられ、身体検査をされる。

「下駄を履いていて、怪しかったからね。最初は、海外の人だと思って声かけたんだよ」

 お巡りさんはほどなく、笑った。緊張がほどけ、ほっとした。

 僕はなぜ下駄なんて履いていたのか。そうだ、自転車のペダルに下駄の縁がぴったりはまって乗りやすかったからだ。そもそも、なぜ下駄なんて持っていたのだろう……。そういえば、僕は時々、顔立ちで東南アジアの人に間違われる。奄美の独特のイントネーションも東京の人からみたらひっかかるのだろうか。

 知らず知らずのうちに、自分が職務質問されなければならなかった理由を探していた。そして、はっとした。日本に住む外国人の人たちは、こんな不安を心の奥にしまいながら、毎日を暮らしているのかもしれない。

 喜界島から世界へはばたき、グローバルとローカルをつなぐ人になりたいと思って東京へ出てきた。その大都会・東京で、僕が初めて強烈に味わった「アウェー感」だった。

牛丼店で学んだこと


筆者

住岡尚紀

住岡尚紀(すみおか・なおき) 明治学院大学生

1995年喜界島生まれ。鹿児島県立喜界高校を卒業後、明治学院大学に入学。2015年に国連ユースボランティアでウガンダ共和国のUNDPに派遣。2016年、内閣府次世代グローバル事業世界青年の船に参加。バイトを4つ掛け持ちしながら俳優業にも挑戦中。中高の社会科と英語科の免許取得を目指し在学中。将来の夢は「島と世界を繋ぐジャーナリスト」。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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