児童養護施設を巣立つ若者へ奨学金 世田谷の挑戦
「奨学基金」で広がる寄付文化。「フェアスタート事業」に予想を超える反響
保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

写真と本文は関係ありません。
「大学進学を意識して勉強する子が増えてきた」
この3年間で、19人の若者たちが大学・短大・専門学校等に進学し、9人が卒業しました。
ただ、当初の予想よりも進学希望者は少なく、奨学金の支給者は毎年10人程度しかいません。3年間の支出は1056万円にとどまっています。
児童養護施設福音寮の飯田施設長は「奨学金はありがたくて、励みになっているのですが、それでも進学のハードルは高くて、まだまだ就職する子も多く、また何らかの障害を持つ等の理由で就職することさえ難しい子も多いのです。私たちは、社会福祉法人等が運営する通勤寮や障がい者グループホームを紹介しています」といいます。
「それでも、うちから世田谷区の事業の支援を受けて進学していった子たちは安定していますから、施設に遊びに来て色々話してくれるんです。すると、影響を受けた後輩たちが目標を持って頑張ろうと、以前より小中学生の中で大学進学を意識して勉強する子が増えてきているという実感はあります」
「フェアスタート事業」の効果は、数値化される奨学金支給実績とは違うところにも出てきました。この3年間、世田谷区内では児童養護施設や里親のもとで育った若者たちの体験を聞くシンポジウムが年数回は開かれています。そのたびに、当事者の若者たちが登壇して参加者に向けて自分の言葉で体験を語ります。長い間、児童養護施設出身者の歩みに関心を寄せてきた私は感慨をもって聞いています。

児童養護施設の夕食の時間(本文とは関係ありません)
児童虐待防止法の改正作業に関わって
2000年4月、小渕恵三総理大臣が倒れ、やがて死去すると「さあ、解散・総選挙だ」と永田町は騒然としました。
あまり知られていませんが、この時に与野党が激突するはずの解散前の国会で、与野党の国会議員が「児童虐待防止法案」をまとめようと頻繁に集まりを持ったのです。衆議院青少年特別委員会の理事会メンバーでした。
約2年間にわたって、衆議院青少年特別委員会では「児童虐待の現状」「社会的養護の現場」等をテーマにしながら新規立法を念頭に各党の委員が熱心な質疑を重ねていました。衆議院の解散によって、これらの蓄積が雲散霧消してしまうことを党派を超えて心配したのです。多少の違いがあっても、まとめようとという力学が働きました。
この国会でも論点のひとつとなったのが、民法に記された「懲戒権」です。
いちばん苦労したのは、最大政党の自民党から「親による懲戒権は、児童虐待とならない範囲において妨げられるものではない」という趣旨の条文を入れたいという主張があったことでした。野党側は「子どもの人権」を明記することを取り下げ、一方でこの表記を何とか自民党にあきらめてもらいました。
私は、各党案を調整する事務局長役をつとめて、超特急で「児童虐待防止法案」を作成しました。ほぼ、連日打ち合わせを重ねて仕上げた法案は、解散前の5月に衆議院青少年特別委員会で成立しました。
あまりに突貫工事で作成した児童虐待防止法案には、まとめ切れなかった課題や、不足点がありました。私は、児童虐待防止法案改正プロジェクトを与野党に呼びかけて立ち上げました。こうして、2度にわたって児童虐待防止法の改正作業に関わってきました。
そのたびに、懸命になって探してきたのが、公の場で発言できる児童養護施設を出た若者たちでした。四方八方に手を尽くして児童虐待防止法案改正プロジェクトで話してもらえる候補者を探しましたが、見つかりませんでした。ある大学に「児童養護施設出身者でつくる数人のサークルが出来た」と聞いては、連絡を取るとすでに解散し関係者は所在不明となっていることもありました。