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ブレグジットに揺れるイギリス医療

「合意なき離脱」後、EU加盟国出身の医療従事者はどうなるのか? 

石垣千秋 山梨県立大学准教授

高まる国民の不満

 世論調査では、国民のNHSへの満足度が下がり、不満足とする国民の割合が増加傾向にある。社会政策学者のJ.アプルビイ氏よると、新しい政権の発足後は、新政権に対する期待感から満足度が一時的に上がることが経験的に知られているという。連立政権発足後には満足度が70%だったが、翌年に58%へと調査開始以来最大の落ち込みをし、さらにその後も回復していない。労働党政権発足後に「満足」という回答が1999年に上昇し、2001年に若干下がって最低になった後、上昇し続けたのとは対照的である。かつ、保守党単独政権になってからさらに「満足」とする国民の割合は低下し、「不満足」とする国民の割合が増加している。NHSの専門研究で知られるキングス財団の研究者やメディアはこの点を問題視している。

拡大NHSに対する満足度 (出典:The King's Fund and Nuffield Trust analysis of NatCen Social Research's British Social Attitudes Survey ※図は筆者作成)

 国民のNHSに対する満足度の減少の大きな要因と考えられるのは、待機者リストの増大である。労働党政権下で減少していた待機者リストだが、2012年から増加し始め、2018年には400万人が病院の受診を待っている状況にある。NHSで慣習として行われている内容も含め、制度と理解されている患者の権利や提供者の義務を明文化した『NHS憲法』(ブラウン政権下で2010年に制定)などに照らし、GPの紹介から18週間以内に92%の患者が病院で最初の診療を受けることがNHSの基準とされており、2016年2月まではこの目標を達成していたが、現在はそれに到達していない。ただし、イングランド・ウェールズ内でも相当の地域差があることも確かだ(『NHS憲法』https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/480482/NHS_Constitution_WEB.pdf アクセス日 2019年9月23日)。

拡大病院の診療を待つ待機者リスト (出典:House of Commons Library (2019) NHS Key Statistics: England, May, 2019, p.12)

 複数の研究者が問題視しているのは、緊急性の低い診療で400万人の待機者がいるのみならず、救急でも搬送されて数時間も診療を待つことが多くなっていることだ。そもそものNHSの基準は搬送後4時間以内に95%の患者が診療を受けることになっているが、この目標も2015年2月以来達成されていない。一連の混乱は、緊縮財政によるもののみならず、2012年の構造改革によって、NHS組織から優秀な人材が去ったためという指摘もある。

 また、がんを疑われる患者は、GPから緊急の紹介状によって専門医を受診し、85%の患者が紹介から62日以内に一定の治療を受けることが基準とされるが、2013年度以降この基準には到達していない。この事実と因果関係は明確ではないが、医学専門誌『ランセット』でイギリスのがん患者の生存率が他のヨーロッパ諸国より低いというデータが示され、政府も問題視している。

 NHSのみならず、保守党政権が緊縮財政を厳しく実施するのは、将来の高齢社会を見すえてだという。2018年のイギリス(スコットランドを含む)の高齢化率は19%に満たず、今後2026年に20.2%、2036年に23.9%、2046年に24.7%と予測されている。それでも、高齢化の速度は日本が経験したものよりずっと緩やかだ。日本では「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家の後を追い、時にはその国家の低迷を「イギリス病」とまで呼んできた。しかし、モデルとしてきた福祉国家を高齢化の側面ではすでに大きく追いこしている。また、政治のモデルとしてのイギリスも姿を変えつつある。

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筆者

石垣千秋

石垣千秋(いしがき・ちあき) 山梨県立大学准教授

石川県生まれ。東京大学卒業後、三和総合研究所(現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング)勤務、バース大学大学院(英国)、東京大学大学院総合文化研究科を経て2014年博士(学術)取得。2017年4月より山梨県立大学人間福祉学部准教授。主著に『医療制度改革の比較政治 1990-2000年代の日・米・英における診療ガイドライン政策』(春風社)。専門は、比較政治、医療政策。

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