花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授
在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「早め、広め」という危機対応の鉄則、SARSの経験が分岐点に
新型コロナウイルスにどう対応するか。我々は、「未知という事実」を正しく認識しているだろうか。
新型コロナの実態は未知のベールに包まれる。感染力が弱いにもかかわらずこれほどのスピードで蔓延するとは誰もが予想しなかった。軽症者が、あれよあれよという間に重症化し、気が付いた時は手の打ちようがなくなる。感染は当初、飛沫と接触だけによるといわれたが、マイクロ飛沫もあるのではないか。我々は未知の敵と戦っている。まずは、「未知という事実」を認識することが、危機対応の出発点だ。
「未知という事実」を認識するとは、対策を立てるに当たり、我々は慎重でなければならないということだ。つまり、こういう時は小心者がいい。豪放磊落はいただけない。
欧州も米国も、対策は全て後手に回った。その結果、火の手が回った時、既に対応は手遅れになっていた。わずかな予兆を察知し、すかさず蔓延の可能性に思いを致す。我々は、「未知という事実」に対し謙虚でなければならない。未知のものに立ち向かうだけの十分な実力を持ち合わせていないかも知れない、そう認識すればこそ、早め、かつ、若干大げさに思える手も、打つ必要が出てくる。分からない時は広めに網をかぶせるに如かず、だ。
北海道知事は、危機が燃え盛ろうとしたまさにその時、学校の一斉休講を決め、緊急事態宣言を出した。知事が小心者か否かは別として、これは英断だった。一方、都知事は出遅れた。3月28、29の両日、不要不急の外出自粛要請が出された。しかしこれは、その前の20日からの3連休にこそ出すべきだった。28、29日はもう一段階レベルを上げるべきだった。
「早め、広め」は、危機管理の鉄則だ。傷は浅いうちに「早めに」手当てすれば軽傷で済む。傷口が広がってからでは治すのが大変だ。敵が未知の場合、「広め」に網をかぶせる。それが安全策として効果的だ。
しかし、日本はこの「早め、広め」が苦手だ。「時宜を見極めつつ、対策は小出しに」が日本的パターンかもしれない。それは危機対応に大きな禍根を残す。バブル崩壊後、欧米が速やかに不良債権処理を終えたのに比し、日本は、いたずらに長い年月をかけた。その結果、後々まで後遺症に悩まされた。湾岸危機の時、日本の対応は「ツーリトル、ツーレイト」と非難された。
北海道知事の英断はどちらかというと非日本的で、都知事の方が日本の伝統に即している。しかし、日本のこの「漸次主義、関係者配慮主義」は危機対応には不向きだ。気が付けば、欧米がウイルス対策に一段落つけ、日本だけが大惨事に追われる、とならないことを切に願う。