村上太輝夫(むらかみ・たきお) 朝日新聞オピニオン編集部 解説面編集長
1989年朝日新聞社入社。経済部、中国総局(北京)、国際報道部次長、台北支局長、論説委員などを経て現職。共立女子大学非常勤講師、日中関係学会理事。共著に『台湾を知る60章』(明石書店)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
つまずいた習政権、混乱を嫌ったことが裏目に
新型コロナウイルスの感染は欧州、米国で拡大が続く一方、最初の集団感染の発生地だった中国はいち早く事態の収束に向かっているようにみえる。ここに至って感染を「うまく封じ込めた」と誇る習近平政権だが、昨年末から今年1月にかけての初期対応がもたついたことを忘れるわけにはいかない。
なぜ失敗したのか。
多くの論評が「地方政府が都合の悪い情報を中央に報告しなかった」「官僚機構が硬直化している」などと指摘してきた。これらは実のところ十分な説明ではないようにも思われる。政権がどう判断し、どう誤ったのか。限られた情報のもとだが、習政権のつまずきの原因を改めて考えてみた。
湖北省武漢での感染症拡大初期の状況を最もよく伝えるのは中国雑誌「財新」だ。ネット上で2月26日夜に掲載された(間もなく削除された)記事は、関係機関、個人名を詳細に挙げ、信頼できる内容といえる。
それによれば昨年12月27日ごろには新型コロナウイルスに関する情報が武漢の医師ら、ゲノム解析企業、そして北京の国家級研究機関である中国医学科学院病原生物研究所で共有されていた。また、他の報道によれば12月29日には国家衛生健康委員会に報告が上がり、31日に同委が調査のために現地入りしている。
一般的には、地方政府が都合の悪い情報を隠し、中央に報告しないことは中国では頻繁に起きうる。しかし感染症に関しては専門家のネットワークがあることが「財新」記事からよくわかる。しかも所管官庁である国家衛生健康委が統括している。12月のうちに習近平政権まで情報は届いていたとみるのが自然だ。