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フリーメイソンに昭和天皇は興味を抱いたのか?『昭和天皇拝謁記』を軸に読み解く

天皇の入会工作には失敗。周囲の旧皇族や旧王族への働きかけに転換

小宮京 青山学院大学文学部教授

GHQの「Free Mason係」リヴィスト

 昭和天皇が宮中に呼ぼうとしたとされるマイケル・リヴィストとは、占領期にフリーメイソンとして活躍した人物である。略歴を記す。

 リヴィストの妻と息子にインタビューした徳本栄一郎によれば、リヴィストは1909年にニューヨークで生まれた。ニューヨーク大学で学び、陸軍に入隊、第二次世界大戦中は戦死者の遺体送還を行った。戦後にGHQの一員として来日した。そして1997年に87歳で亡くなった(徳本栄一郎『1945日本占領』新潮社、2011年、162~163頁)。

 リヴィストは、日本人をフリーメイソンに勧誘する際に大活躍した。たとえば、1949年10月には日本工業倶楽部で各界の指導者に対し、フリーメイソンに関する講演を行ったとされる。

 また、この連載の第1回「日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(上))」で紹介した河井弥八元参議院議長の日記にも、リヴィストが何度も登場する。1949年末の「河井日記」には「Free Mason係(日本及朝鮮担当)少佐Michael Arthur Rivisto氏と会見」と書かれており、河井をフリーメイソンに誘う様子が描かれている。

 このように、リヴィストは戦後日本のフリーメイソン史におけるキーパーソンだった。

拡大Benjamin Campos/shutterstock.com

強引に行われた昭和天皇の入会工作

 このリヴィストが、昭和天皇のフリーメイソンへの入会工作をかなり強引に行っていた。

 その裏面を語ったのが、当時、『ニューズウィーク』東京支局長であり、宮内庁関係者とも接点を持っていた、コンプトン・パケナムである。

 パケナムの「日記」によれば、松平康昌式部官長と夕食した際に、助言を求められている。リヴィストが「天皇をフリーメイソンにするようにといって、松平を追いかけている」という。さらにリヴィストはマッカーサーの副官に依頼して、天皇と面会させるよう宮内庁へ圧力をかけたりもした。

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筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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