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3.「看病」を超え、病前後の人も看る「看民工学」のススメ

出島に集まる好学者③ 手と目が頼りの看護界に越境する工学者

一木 隆範 (公財)川崎市産業振興財団 iCONM主幹研究員、東京大学教授

 私は現在、「ナノ医療」の研究をしている。典型的な異分野融合の研究だ。物質合成の研究で学位を得た後、半導体の微細加工の分野で研究者としてのキャリアを始めたが、これらの知見をバイオ分野に応用して病院検査室の機能を小型のチップ上に再現する技術開発を行っている。

 病気が発症する前に早期に発見し、治療に繫げることができれば、医療費が抑えられ、生活者の健康に貢献できる。予防医療の実現に向けた研究である。

 昨今、川崎市の地元の看護協会や看護大学の方々と意見を交換する機会を頻繁に持つようになった。医工融合分野の研究を進める際に医学研究者や医師との連携は不可欠だ。一方で、医療において重要な役割を果たしている看護ケアの担い手との協働の可能性に思いが至らなかったことに今更ながら気づき、「看民工学」を掲げて新たな融合への一歩を進めようとしている。

病前の教育や治療後の管理で人々を看る工学

 「看民工学」は、病人を看(み)る「看病」だけでなく病前病後の人々も看るための工学であり、健康時からの啓発・リテラシー教育や治療後の服薬管理や再発予防等を目的とした工学を含む。また、医療消費者である患者のみならず、看護師等の医療従事者を支援する技術・サービスの開発も重要な対象である。

 科学・技術を用いて介護や在宅看護の質・安全を落とさず、むしろ向上させながら労働負荷を軽くする。そのようなイノベーションが求められる(「看民工学」については、川崎市産業振興財団の広報誌「産業情報かわさき6月号」参照)。

 きっかけは公益社団法人川崎市看護協会への訪問であった。工学との連携の可能性を探るための聴き取りを快諾いただき、看護師の労働環境改善を議論する会合に参加した。端的に言えば離職防止対策の意見交換を行う会合である。

意見交換iCONMの片岡一則センター長(左)と意見交換する、川崎市看護協会の堀田彰恵会長(右)と千島美奈子理事(中央)=写真、図はいずれもiCONM提供
説明髪の毛より細い注射針について堀田彰恵会長と千島美奈子理事に説明する筆者(右)

ケア人材の不足

 日本の看護・介護現場の課題をまず整理しよう。

 世界に先んじて超高齢化が進む我が国では、今後半世紀にわたって85歳以上人口が増加し続ける。今後、複数の慢性疾患を持ち、長期にわたりケアを必要とする人々が増え、医療ニーズは確実に高まり多様化する。団塊世代が90歳を超える2040年には、要介護者数が現在の725万人から988万人に増加し、就労人口の5分の1が医療に従事する必要を求められるとの試算が出された。

 すでに医療現場では人手不足が深刻な課題で、外国人労働者の雇用や医療ロボットの活用などに活路を求めているものの、解決は容易でない。少子高齢化による医療費負担増の課題はよく知られているが、実際にはケア人材不足の方が深刻だ。

 さらに最近、老々介護やヤングケアラーの問題が注目されるようになってきた。病院だけに頼ることはできない将来が確実に来る。フランスには「在宅入院」という言葉があるそうだが、日本でも今後、在宅医療、訪問看護の比重が増していく。看護は看護師だけの仕事ではない。患者本人の生活全般を支えるケアには多くの家族も巻き込まれる。看護、介護(いずれも英語ではナーシング)に追われて仕事をやめざるをえない人もでてくる。離職対策は、社会全体が抱える大きな課題となるだろう。

看護現場の生の声で見えたニーズ

 会合に参加したものの、果たして工学と結びつくものかと少し不安もあった。しかし、次のような看護現場の生の声に接して、まさに目から鱗(うろこ)が落ちた。

「看護職は7割がしんどく、その先に3割の喜びが待つ世界」
「手と目で看ることが看護の基本と教えられてきた。経験による熟練が必要」
「工学との連携など考えたこともなかった」
「細かすぎる医療安全対策の負担が大きく、仕事が終わらない」
「新人が、看護ケアの本来の姿である患者に寄り添う時間も取れない現実に悩んで辞めてゆく」

 工学者の目で見ると看護の領域には多くのニーズが隠れていて、ブルーオーシャン(まったく新しい市場)である。工学で看護師を助けたいという話をすると、多くの人々がその着眼の新しさと必要性に共感してくれ、後日、ナノ医療イノベーションセンターと川崎市看護協会との間で連携していくことが決まった。

だれもがケアをする時代に

 新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)で病院のベッドが足りなくなり、自宅や宿泊施設での療養を余儀なくされている患者は60万人にも上る(2022年7月現在)。実は、パンデミックが起きなかったとしても、近い将来、高齢者の急増が同様の病床不足を引き起こすことが予見されている。病院は急性期の患者しか受け入れられず、あふれた患者は在宅治療をせざるをえない。在宅ケアを支援する「訪問看護ステーション」というものも市中に増えてきた。しかし、病院と違い、患者を24時間見守ることはできない。

 「訪問看護師の仕事は、ケアラーとなる家族の支援をすることなのです」。ある訪問看護ステーションで聞いた言葉だ。「どう看護をすればよいのか、ほとんどの方は分かりませんし技術もありません。でも、これからの時代、誰もが看護の知識を持って家族を見守らなくてはならなくなります。今みたいに、医師や看護師しか使えない道具では困るのです」という悲痛な声も届く。

出島が発想を生む「看民工学」

 大学の中にこもっていては、このような現場の話は見えてこない。多様な専門性や価値観を持つ人々が集い、産官学の様々な組織・機関と接点をもつ出島(=iCONM)に出入りすることで看護界との接点を得た。

 工学の世界で生きてきた人間として、看護界への越境はもはや使命だと思える。このような背景の下、川崎市看護協会と川崎市立看護大、そして東京大学グローバルナーシングリサーチセンター(GNRC)が全面協力を約束してくださり、川崎市の支援もあって下図に示すようなコンソーシアム構想が動き出した。

 ナイチンゲールが近代看護の基礎を築いた後、この領域は仕組みも技術もほとんど進化していない「ガラパゴス」だ。ナースコールですらナイチンゲールの時代からほとんど変わっていない。

 また、看護師は、医療職としては最も数が多い集団でありながら、男性優位・科学至上主義の社会の中で医師の従属的立場に甘んじてきた。「見えない壁」の原因はここにある。工学は男性、看護は女性という考え、分断はもはや無意味である。看護の領域での事業、産業の創出は難しいだろうという先入観も古い。

早期の「コンソーシアム」設立を

 裾野も広く、やるべきことは多岐にわたると予想され、一時の流行(はや)りということとも無縁の領域だ。きっと興味を持つ企業は少なくないだろうし、起業を目指す者も出てくるだろう。

 医療関係者やケアラーの声に共感して私たちアカデミアの人間が新たな技術を生み出せたとしても、製品・サービス化できなくては、それを必要とする人に届かない。できるだけ早期にこの「看民工学コンソーシアム」を設立したいと願う。興味のある方は是非、ご連絡を。本当に世の中で必要なものは必ず受け入れられるはずだ。

診断機器・検査機器のダウンサイジング

 ここで、半導体工学と医療の連携の歴史をみてみる。

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