焦る住民の思い 「死ぬまでダム」「故郷より良い所、見つからない」
2015年02月04日
国土交通省は1月24日、八ッ場ダム予定地の未買収地の強制収用を視野に入れて説明会を行った。群馬県長野原町町の広大な会場には空席が目立った。
八ッ場ダム工事事務所の伊藤和彦副所長によれば、開催通知は水没予定地に暮らし続ける住民と、共有地を所有する県内外の地権者300名に宛てられた。出席者はそのうち20名だった。その他40名を含む計60人が、1時間の説明と30分の質疑応答に耳を傾けた。説明は大きな空間にこだまして聞き取りにくかった。
八ッ場ダム計画は、長野原町にその調査通知が届いた1952年(昭和27年)から63年が経過する。地元住民の激しい反対の末、町長と知事が覚書を結んだ翌年の1986年に基本計画が策定された。当初の完成予定は2000年、総事業費2110億円だったが、4度に渡る計画変更で、完成は2019年に延長、総事業費は4600億円に倍増した。
ダム湖畔に地域全体で移転する「ずり上がり方式」で移転が進むはずだったが、8割が地域外に移転し、コミュニティーは壊れた。民主党政権の下で計画が凍結されていた間も、推進に転じた住民への配慮から付替道路や代替地整備などの工事は進んでいた。他方、ダム建設中止に期待をかけた住民は地域との軋轢を極力避けつつ静かに住み続けた。
その間、事業者である国は、手続きの面倒な共有地の手続きを放置した。反対地主らの任意買収もできなかったため、現在に至るまで用地取得率は92%で、1割近くが未買収なのだ。
日本のダム事業では反対住民がいても周辺工事が始まり、時間をかけてジワジワと既成事実化が進む。八ッ場ダム事業も例に漏れず、ダム本体着工のお披露目を説明会の2日前に済ませたばかり。それが大きく報道された翌日に説明会は開催された。移転済み住民と残った住民の感情は入り乱れ、交錯する。
質疑応答では、「事業が遅れているところがある。収用をするのか」と二度も迫る住民がいた。川原湯温泉で経営していた老舗旅館「柏屋」を閉めて移転した豊田治明さん(80)だ。1935年(昭和10年)生まれでダム計画が持ち上がったのは17歳だった。
筆者が質問の真意を確かめようとすると、豊田さんは言った。「ダムにずっと反対していたんだ。今だって反対だよ。でも、
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