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危なかったフランスの「文化的例外」(上)――死守した文化的アイデンティティ

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 去る6月14日、欧州連合(EU)は同理事会で、アメリカとの自由貿易協定(FTA)交渉開始について協議し、フランスが抵抗していた「映画やテレビ作品、DVDを含む音響映像サービス分野」は、交渉対象から当面の間、棚上げすることで合意に達した。

 フランスからすると、とりあえずは”ホッと一息”といったところか。しかし振り返れば、かなりきわどい駆け引きが続いていたのも事実。フランスの文化関係者、とりわけ映画関係者の多くは、祈るような気持ちで成り行きを見守っていたことだろう。フランスが「聖域」と考えるところの「文化的例外」という概念は、すんでところで守られたのだと言ってよい。

 「文化的例外」とは、「文化は単なる商品ではないのだから、経済分野においても国家の保護を認めるなど、例外的な扱いをするべき」と考える立場を指す。

 1993年11月に、関税および貿易に関する一般協定(GATT)のウルグアイ・ラウンドで、フランスは、この「文化的例外」を楯に、正面からアメリカに「NO」を突きつけ、テレビ・映画といった映像部門を交渉から外すことに成功している。

 2005年には、本部がパリにある国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の総会にて、カナダとともに「文化多様性条約」の採択を主導し、アメリカに鮮やかなカウンターパンチをお見舞いしたことも記憶に新しい。この条約で各国は、文化多様性を保護・促進するために独自の措置・政策を実施する主権的な権利が認められたのだった。

 そもそもフランスは、90年代以降に「文化的例外」という言葉が国際交渉の場で飛び交うようになる遥か前から、自国の文化的アイデンティティを意識的に守ってきた国である。

 第二次世界大戦後、フランスはアメリカの復興援助計画「マーシャル・プラン」を受け入れた。この時、アメリカから大規模な資本投下の恩恵を受けたが、どうもいつの時代も、うまい話には罠があるようだ。フランスは援助の見返りに、アメリカ映画に広く市場を開放させられた。そして瞬く間に、国中の映画館は、アメリカ映画だらけになってしまったのである。

パリ13区の映画館、MK2ビブリオテーク=撮影・筆者パリ13区の映画館、MK2ビブリオテーク=撮影・筆者
 しかし、フランスの行動は早かった。「このままでは国産映画を失ってしまう」という危機感から、アメリカ映画の脅威に対抗するべく、映像産業の司令塔となる公的機関CNC(現・国立映画・動画センター)をただちに設立させ、国産映画の保護育成に、果敢に乗り出したのである。

 例えば1948年には、映画のチケットに課されるTSAという映画付加価値税を導入している。これはチケット代の10.72%が自動的にCNCに徴収される仕組みとなっており、フランス映画の製作や普及、振興などに使われるようにしたものだ。

 興味深いのは、観客がアメリカ映画を鑑賞するために支払ったチケット代

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