2014年02月14日
ライアン・ゴズリング主演の『ドライヴ』(2011)が高評価された、ニコラス・ウィンデイング・レフン監督。デンマーク生まれの彼の新作は、再度ゴズリングとタッグを組んだ奇妙な味わいのアクション・スリラー、『オンリー・ゴッド』である(『ドライヴ』については、2012/4/12の本欄「クールな暴力映画の秀作、『ドライヴ』」参照)。
『オンリー・ゴッド』に奇妙なテイストが渦巻いているのは、西欧にとって未(いま)だ“神秘な東洋”であるタイを、舞台装置として巧みに活用しているからだ。いや、舞台装置のみならず、“神のごとき処刑人”チャンに扮するタイ人俳優、ヴィタヤ・ハンスリンガムの謎めいた“東洋的な”存在感がすばらしく、本作は彼なしには成立しえなかったと言っても過言ではない。
無表情で寡黙なチャン/ハンスリンガムが、画面に初めて登場する瞬間に、この先、西洋人の男女らが彼の前にあえなく敗れ去るだろうことを、われわれは直感する。それほどチャン/ハンスリンガムの発するオーラは凄い。
しかしまあ、チャンが神の化身うんぬんは、たんなるドラマの意匠、ないしは設定でしかないので、レフンがなんと発言しようと、それにとらわれず、まずはフィルムを虚心に見るのがいいだろう(レフンは、この映画のコンセプトは、神と対峙したがっている男というものだ、と語ってはいるが)。
物語はこうだ。――バンコクに住むアメリカ人ジュリアン(ライアン・ゴズリング)は、表向きはキックボクシング・クラブの経営者だが、裏では家族と共に麻薬密輸組織を運営していた。彼はある日、殺された兄ビリー(トム・バーク)の復讐を、母で組織のボスであるクリスタル(クリスティン・スコット・トーマス)から命じられる。
ジュリアンはしかし、兄が若い娼婦をなぶり殺しにし、その娘の父親に報復として殺されたことを、そしてその父親も何者か(じつはチャン)によって裁きを受けたことを知り、復讐を思いとどまる(レフンによれば、“神の化身”であるチャンは、裁判官と陪審員と処刑人が三位一体になったキャラだという。ちなみにチャンは、法の外に身を置きつつ、自らの掟によって行動する自警団的私刑者でもあろう)。
だが、悪の権化のような母クリスタルは、怒りがおさまらず、あくまで長男の復讐を果たすべく周到に行動を起こし、チャンの所在を突きとめる。やがてクリスタルが、続いてジュリアンが、チャンに苛烈な闘いを挑んでゆく……。
このように、息子を殺された母クリスティの復讐が、チャンによる裁きと、いわば斜めから衝突するという、ねじれた劇の構造もスリルを生んでいる(チャンはクリスティの長男殺しの犯人ではないゆえ、「斜め」から罰を下す処刑者という構図におさまる)。
そして、ねじれているとはいえ、『オンリー・ゴッド』の作劇はシンプルである。目玉はあくまでショッキングな活劇シーンなのだから、このレフンの行き方は間違っていない。実際、チャンが背中から長い包丁状の刀をおもむろに引き抜き、“被告”に振り下ろすシーンは、目をそむけたくなるほど残虐だ。
もちろん、ハリウッド・メジャーの過剰に引きのばされたアクション描写に異を唱えるレフンは、残酷場面を短く撮ってはいる。が、それでも本作の血まみれの殺傷シーンは、何か病的なものを感じてしまうほど過激で、私はインパクトを受けつつ、ここまでやる必要があるのかと思ってしまった。
また、創造性にとっての一番の敵は“趣味がいいこと”で、その次が“安全”であることだ、などというレフンの発言も、額面通りには受けとれない(おそらくキャッチ・コピー的なトークだと思われるが、同様に、「刃物は相手の肉体に侵入してくる。それゆえ、映画においては暴力をセクシュアル化する道具になる……」といったレフンの言葉も、もっともらしくて、なんだか空々しく響く)。
ただし、本作でハードに描かれるチャレンジングなバイオレンス・シーンは、斬新なことは確かで、“残酷マニア”には
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