少女を苦しめる真犯人は美談好きな大人たち
2015年11月24日
10月、沖縄県立宮古高校の合唱祭で、クラス全員がサングラスをかけて出演したことが話題になりました。
これは TVをはじめ、多くのメディアに美談として繰り返し取り上げられました。
ですが、このエピソードは決して美談として語るべきではないと私は考えています。
その理由は、未確定情報が多過ぎるからです。
少女に起こった症状は 「HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン(≒子宮頸がん予防ワクチン)による副作用」という紹介がされていますが、本当にワクチンが原因であったのかは特定できていません。
日本では医学を専門としている人々の間でも意見が割れているのが現状です。
報道がそのような決着のついていない医療の問題を扱う時にバランスを欠いてしまえば、様々な生命や健康に影響が出るため、本来はかなり慎重でなければなりません。にもかかわらず、あたかもワクチンが原因であるかのような印象を受ける番組が散見されました。
1990年代にマスコミによる「ステロイドバッシング」が起きて、ステロイドフォビア(ステロイド恐怖症)になる人々が急増したという現象がありましたが、バッシングがある程度収まっている現在の状況から察するに、バッシングは明らかにバランスを欠いた報道だったと考えられます。
子宮頸がん予防ワクチンに関しても同様の過ちをおかさないようにするべく、細心の注意を払って頂きたいものです。
また、たとえどのような現象であっても、物語の一部を切り取ればたいがい「美談」は存在するものです。
たとえば戦争という悪しき現象であっても、「戦地に向かう人が家族に対する思いを手紙に綴る」などの場面を切り取れば、当然美談になりえてしまいます。
ですが、そのような場面に焦点を当てて美談を称えるような番組や記事ばかりが世に溢れていたら、人々は戦争という大きな過ちに対する反省の視点は薄れて行ってしまうことでしょう。
このケースも、「ワクチン=悪」という前提のまま、被害者に起こった良い話を美談として繰り返し流していれば、「ワクチン=悪」を国民が疑う機会は減って行くでしょう。
ですが、もしワクチンが原因ではなかった場合、美談によって根付いた「ワクチン=悪」という価値観を転換しなければいけないわけですが、その責任はいったい誰が取るのでしょうか?
私も2年半前に「男性だけど子宮頸がん予防ワクチンを打ってみた。」というブログの記事を書いた時に、たくさんの反響を頂戴したことがあります。
ですが、その話を単なる美談として丸のみにされないために、接種したストーリーについて語る以上の文字数を使って、医療分野において専門ではない個人が自分で決断することの大切さについて語りました。
未確定情報がある中で安易に美談だけを語るというのは、かなり危険性をはらんでいるということを、発信する側も受け取る側ももっと肝に銘じるべきだと思うのです。
ただし、バランスを保った報道であれば良いとも思いません。というのも、そもそもこのエピソードは、全くもって美談ではないと私は考えているからです。
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