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[7]死者と共に生き、死者の時間を生きた原節子

末延芳晴 評論家

 『晩春』に次ぐ『麦秋』は、小津安二郎が、山中貞雄の無念の思いに報いるために、再び原節子を主役に据えて撮ったという意味で、画期的な作品である。

 ただ、小津は、この作品では、山中貞雄の霊を蘇らせることに慎重であった。だから、小津は、原の兄「省二」を通して、その背後に、分かるものには分かる形で、山中の霊をスクリーンの背後に蘇らせるに止めた。

 しかし、「紀子3部作」の最終作品『東京物語』では、小津は、明らかにもう一歩踏み込んで、山中貞雄を原の戦死した夫「昌二」の背後に蘇らせ、物語の構造の中心点に「非在」の夫・昌二=山中貞雄を据えて、ドラマを構成し、シナリオを書き上げる。

 そうした意味で、『東京物語』は、正に原節子と山中貞雄に捧げられた作品であるといっていいだろう。

原節子が号泣した意味

 以上述べてきたことから引き出されてくる結論は、原節子が、母の形見として笠智衆から渡された時計は、東山千栄子が戦死した息子(原節子の夫・昌二)と共に生きた死者の時間の象徴であり、原が夫と共に過ごした時間の象徴であり、同時に夫の背後に蘇った山中貞雄や、さらにその背後に浮かび上がる戦争の犠牲となって死んでいった全ての兵士たちと、彼らの母や妻たちの生きた時間の象徴でもあった。

 だからこそ、原節子は、死者たちの象徴としての時計を受け取ることで、死者たちの時間をあたかも「受胎告知」のように、自身の体内に宿すことになり、それゆえに原節子は、写真【1】にあるように、

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