2019年01月14日
2019年の今年は1955年、1958年に建てられた法政大学55年館、58年館の取り壊しが実際に始まる。取り壊しが決定されてから、構内を歩く御老人のグループを見かけるようになった。校舎との別れを惜しみにきた卒業生の皆さんだ。鉄筋コンクリート建築として建築史にも記録された建物で、かなり堅牢に作られているので、実際の取り壊しがどのように進むのかは興味深い。1945年に戦争が終わり、戦後の焼け跡から抜け出すように建てられた法政大学55年館はまた俗に「55年体制」と呼ばれる自民党による政治体制が始まった年でもあった。
杉並区方南町にある普門館はそれよりもずっと若い建物で、1970年の建築である。大阪で万国博覧会が開催された年であり、日本各地で公害問題が提起されていた頃だ。その頃は方南町のあたりも、今よりずっと農地が目立っていたことだろう。私が「楽隊のうさぎ」の取材のために普門館を訪れたのは1998年のことで、もう20年も昔になっていることに驚いた。
その頃は吹奏楽の聖地などという呼び方もまだなかったが、吹奏楽コンクールの全国大会は毎年、普門館で行われていた。カラヤンが指揮をする音楽会が開かれたこともあるホールは、音響効果が良いことで知られていた。立正佼成会の建物で中央部に大きなお仏壇があり、お経を唱えるために音響効果を考えて設計されたと、20年前の取材の時に教えてもらった。縦にストライプが入った円筒形の建物に見えるが、実際は中心点が異なる二つの円がズレたフォルムを持った建築物で5千席の客席を持つ。「楽隊のうさぎ」の中では「ピンク色のロールケーキのような建物」と表現した。
「楽隊のうさぎ」は1999年秋から2000年春にかけ東京新聞など六つの新聞の夕刊連載だった。当初は学校でのいじめの話を書こうと考えていたのだが、吹奏楽のことを取材するうちに、そちらが主題になった。
この秋ある人に「あれは音が音楽になる瞬間を書こうとした小説なんですね」と言われ、思わず「そう、そう、そうなんです」とうれしくなってしまった。
連載中は吹奏楽をやっていると経験することばかりが書かれているという感想をいただくこともあった。そこまではうれしい感想なのだが、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください