2022年03月30日
2015年の秋、高校時代の友人と二人で、初めて石垣島を訪れた。共通の友人が数年前からこの島に移住していたからだ。彼のクルマに乗せてもらって、島を巡り、海で泳ぎ、ソバを食べた。3泊4日のミニトリップの最後の夜は、奥さんのレイコさんにも参加してもらって、島の魚を食べ泡盛を飲んで騒いだ。盛り上がったついでにカラオケにも繰り出した。
男3人の歌唱のレベルは(ひいき目に見ても)中の中。歌には聞こえるものの、おざなりな拍手がぱらぱら返ってくるというレベル。つまり、フツーの人のフツーの歌である。
ところがレイコさんの歌は明らかに違った。声の艶も音程も情感も段違いである。旅人二人は息を呑み、酔いも醒めかけた。こりゃあ凄い!
彼の地の友人(歌姫の夫)がこう言う。「こっちの人たちはみんな歌が上手いよ。俺が彼女の親戚連中と初めてカラオケをやったとき、彼らは俺に向かって、『こんなに歌の下手な人が世の中にいるとは思わなかった』って言ったもんさ」。彼はイギリスと東京で育った人間だが、レイコさんはもちろん、島で生まれた人である。
彼女が歌った中で、特に耳に残ったのは、「イラヨーヘイ、イラヨーホイ」という囃子言葉が印象的な「童神」(わらびがみ)だ。母親が赤子に向かって健やかに育てと祈る歌詞が、ゆったりと起伏するメロディに乗って天へ昇っていくような曲。1997年に古謝美佐子(こじゃみさこ)が発表した後、夏川りみをはじめ何人もの歌手がカバーし、よく知られた楽曲である。
その古謝美佐子は、9歳でレコードデビューした天才民謡歌手である。1980年代には坂本龍一のレコーディングやコンサートツアーに参加し、1990年に女性4人のコーラスグループ、ネーネーズに加わり、1995年の脱退までリーダーを務めた。「童神」はネーネーズのアレンジャー、佐原一哉の曲に古謝が詞をつけた作品だ。
ネーネーズのデビューアルバムは、『IKAWU/イカウー』(1991)。収録曲は沖縄民謡と沖縄歌謡が混在し、いずれもうちなーぐち(沖縄方言)で歌われるが、アレンジにはレゲエの風が吹いている。ゆったりと始まる1曲目の「月ぬ美(かい)しゃ」にも感じられるさざ波のようなうねりが2曲目の「七月エイサー」で前景へせり出し、3曲目「ヨーアフィ小」、4曲目「テーゲー」の軽やかなハーモニーへ流れ込んでいく。沖縄とカリブ海のみならず、ラテンやインドネシアの匂いも含んだ柔らかく華やかな曲調は、本土の聴き手を惹きつけるのに十分だった。アルバム発売に合わせて、東京の青山CAYで行われたライブに「怒涛の如く」押し寄せた観客は、ステージに上がる彼女たちをもみくちゃにしたという。
1993年に発表した3枚目の『あしび』には、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「No Woman, No Cry」が収められている。私には、この歌が衝撃的だった。
その知名定男も、歌と三線を能くする「天才少年」だった。1945年生まれの知名の3つ下が喜納昌吉(きなしょうきち)、4つ下が照屋林賢(てるやりんけん)である。1980年代に立ち上がる沖縄ポップスを牽引したこの3人は、ほぼ同世代に属し、いずれも沖縄大衆音楽の名家に生まれた“御曹司”たちだった。
復帰以後の沖縄音楽史に最大のインパクトを与えた作品を問われたら、多くの人は喜納昌吉&チャンプルーズのデビュー曲「ハイサイおじさん」(初収録1969)を挙げるだろう。高校野球沖縄県代表への応援歌でもあり、後の世代まで浸透している。
まず沖縄で大ヒットし、本土へ波及した。沖縄民謡のリズムや音階を生かした斬新な曲づくりは、久保田麻琴や細野晴臣など「本土」のミュージシャンの注目を集めた。
歌詞は一見、酔っ払いの「おじさん」を悪ガキがからかうというたわいない内容だが、背景には戦後の貧困に打ちのめされた一家の悲惨な事実が込められていた。
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