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グローバル人材の素養としてのユーモア

グローバル人材の素養としてのユーモア

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 戸倉 圭太

戸倉 圭太(とくら・けいた)
 2004年3月、一橋大学法学部卒。2005年10月、司法修習(58期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2008年4月から2009年3月まで国内大手証券会社M&Aアドバイザリー部門勤務。2011年5月、米国New York University School of Law (LL.M. in Corporations)。2011年9月から2012年6月までロンドンのSlaughter and May法律事務所勤務。

 英国人の依頼者との電話会議。依頼者は、日本企業との間で合弁会社の立上げを検討中であり、私と同僚の英国人弁護士は、依頼者に日本の会社法について説明することになっている。参加者は、私を除けば皆英国人である。電話会議の中で、合弁会社がClass Shares(=種類株式)を発行するスキームが議論されたが、残念ながら、依頼者の目的に適う内容の種類株式の設計は、日本法上は困難という結論になった。

 電話会議の最後に、同僚の英国人弁護士が一言。

 「結局、日本では、英国のようなClass System(=階級制度)は存在しないということですね。」

 無論、英国が階級社会であることを踏まえた発言である。電話会議は笑いに包まれた後、参加者は、皆「今のは、素晴らしいまとめだった。」などと口々に言いながら、満足気に電話のラインを切った。

 ユーモア先進国イギリスで

 しばしば、ビジネスの場面においてユーモアやウィットは重要であると言われる。重い空気に包まれた会議で、可笑しみのある一言が場を和ませて参加者の緊張を解いたり、相手を笑顔にさせて距離感を縮めたりするのは、よくあることである。

 英国では、会話の中で、機知に富む一言や、柔らかい皮肉をさりげなく織り交ぜることのできる能力は、知性の高さを示すものと考えられているようである。ユーモアのある人間は、発想が豊かで考え方に柔軟性があり、表現力が豊かで相手を説得する力にも長けると見る向きもあるようである。

 しかし、例えばビジネスの会議の最中において、気の利いたユーモアを発するというのは殊のほか難しい。自分に余裕がないとできないし、一歩間違えば、仕事に取り組む態度の誠実さを疑われてしまう。とてもではないが、私ごときに扱うことができそうな代物ではない。

 そのような中で私は、「ユーモア先進国」である英国で、弁護士としての研鑽(研鑽対象はもちろんユーモアに限られない)を積むため、2011年9月から約9ヵ月間、ロンドンの法律事務所で研修勤務を行う機会を得た。英国で名門とされる事務所で、教養の高い英国人が多く勤務する職場である。そこには、何とか相手の表情を「ニヤリ」、「クスリ」とさせてやろうとする試みがあちこちに充満していた。

 例えば、研修先事務所では、自分の誕生日には、自分のオフィス付近の給湯スペースに、お菓子やケーキを自ら持参して皆に振る舞うという慣習があった。お菓子を置いたら、職場の同僚たちにメールを送信するのが通例である。要は、「今日は私の誕生日なので、給湯スペースにお菓子を置きました。皆さん、どうぞご自由にお取りください」という趣旨のメールなのであるが、このメールを、味気のない事務連絡のように書いてしまったら失格である。ショート・ストーリー仕立てにしてみたり、時事ネタ(サッカーやラグビーの話題が多い)や、その日に起こったとされる歴史上の出来事と絡めてみたり、皆、このメールを何とか機知に富んだものにしようと躍起になるのである。とはいえ、日本人の私が読んだとき、確かによく考えられていて「ニヤリ」とはするが、「笑える」と感じるものはあまりなかった。

 「笑い」と「ユーモア」

 私は、ユーモアを解すべきときに、日本の「笑い」の感覚を持ち込んでしまっていたのかもしれない。ユーモアと笑いとは、相手を愉快な気持ちにさせる試みである点で共通するが、必ずしも同じではない。英国の「笑い」に関しては、英国滞在中、現地のコメディー番組を幾つか視聴した。いろいろな番組を網羅したわけではないが、現在では、芸人1人が舞台に立ち、観客の前で延々と話し続ける形式の、いわゆるスタンドアップ・コメディーが人気のようである。話の内容としては、例えば、政治経済などの時事ネタ、英国人の国民性に関する固定観念を自虐的に取り上げる自虐ネタ、日常生活で多くの人が経験しているような身の回りのことを挙げ、観客の共感を得ることで笑いを誘う、いわゆる「あるある」ネタが多い傾向にあり、日本のお笑い番組に通じるところが多分にあった。しかしながら、芸人の芸風がかなり互いに似通っていて、何度か観ているうちにやや飽きがきてしまった。

 この点、日本の「笑い」創造の多様性と奥深さには驚かされる。「笑い」を生む演芸の種類は非常に多様で、一人の話者による芸でも、例えば落語は、話術、仕草や身振りだけで世界観を構築してストーリーを語り、聴衆を虚構の世界の中に引き寄せてしまう。漫才は、訓練された話者の絶妙なテンポの掛け合いや間の取り方の中で、言葉が持つ可笑しみを一層際立たせているように感じられる。このような芸能は、個人的には、欧米の舞台芸術に比肩すべき芸術性を有していると言ってもいいと感じている。大衆芸能の歴史は古く、現代でも、芸人が芸能を披露する番組が日常的に放映されているなど、日本人は「笑い」に関して大変高度な環境の中で育っており、「笑い」に関して相当な素養を備えているというべきである。

 ただし、「笑い」を外国人と共有するためには、文化的背景や言語の違いが障害となる。もちろん世界的にヒットするコメディーもあるが、そもそも人間が可笑しみを感じるポイントは各国・地域で異なるであろうし、異なる言語に置き換える過程で、もともと含まれていたはずの可笑しみが失われることも十分考えられる。また、ある国・地域における「笑い」が、文化的・宗教的理由から、別の国・地域では不適切とされるかもしれない。

 機知の冴え、当意即妙

 外国人との間で「笑い」を共有するのが難しくとも、さりげないニュートラルな内容のユーモアは、文化的背景や言語の違いを超えて共有され、ビジネス・コミュニケーションを円滑化することができるポテンシャルを秘める。ユーモアの素養・スキルは、今時代が求めている、いわゆる「グローバル人材」にとりわけ有用のものかもしれない。流暢な英語は必要ない。重要なのは、気が利いているか否かである。

 我が国では、伊勢物語などの古典にみられるように、ある場面において、咄嗟の機転を利かせ、状況に即応しつつ、幾重もの意味が込められた歌を詠むことができるような機知の冴え、当意即妙が長く尊ばれてきた。我々が、ユーモアの素養・スキルを獲得するための土壌は、十分すぎるほどあると言えるだろう。

 私が所属する事務所は外国企業の依頼者が多いため、外国人との会議・電話会議は日常茶飯事である。私も、国際的なビジネスの文脈で、適切なユーモアを操るコミュニケーション・スキルを習得できればと思うが、道はいかにも遠そうである。まずは、「とんち」の一休さんを読み返してみよう。

 戸倉 圭太(とくら・けいた)
 2004年3月、 一橋大学法学部卒。2005年10月、司法修習(58期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2008年4月から2009年3月まで国内大手証券会社M&Aアドバイザリー部門勤務。2011年5月、米国New York University School of Law (LL.M. in Corporations)。2011年9月から2012年6月までロンドンのSlaughter and May法律事務所勤務。2012年6月、ニューヨーク州弁護士登録。2012年7月、当事務所復帰。
 共著に「ANALYSIS 公開買付け」(商事法務、2009年)、「金融商品取引法の諸問題」(商事法務、2012年)。論文に「キャッシュ・アウトに係る英国の法制と日本における制度設計への示唆〔上〕〔下〕」(「旬刊商事法務」 No.1969、2012年6月25日号、No.1970号、2012年7月5日号)、「会社の取締役に対する損害賠償請求権の消滅時効期間が10年とされた事例」(「ビジネス法務」2009年9月号)など。