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営業秘密漏えいの損害をどう立証・認定するか

髙林 勇斗

営業秘密漏えい事案における損害論

西村あさひ法律事務所
弁護士  髙林 勇斗

1 はじめに

髙林 勇斗(たかばやし・ゆうと)
 2010年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2012年慶應義塾大学法科大学院修了、2013年弁護士登録。2013年12月西村あさひ法律事務所入所。入所以来、企業不祥事対応等の危機管理案件、訴訟案件、一般企業法務案件などに従事。
 営業秘密の漏えい及び侵害は、未だ我が国におけるホットイシューの1つであり続けている。この点、新日鐵住金の製鉄技術の漏えい事案、東芝のNAND型フラッシュメモリ技術の漏えい事案、ベネッセの顧客情報漏えい事案等、近年の営業秘密漏えいに関する大型事案の顕在化を受け、刑事上・民事上の保護範囲の拡大、刑事罰の強化、損害賠償請求における立証負担の軽減等を盛り込んだ平成27年改正不正競争防止法が成立、施行されたことは記憶に新しい。また、経済産業省も、平成27年1月28日付けで、営業秘密管理指針を全面改訂し、営業秘密が不正競争防止法において法的に保護されるための最低限の秘密管理水準を明確にすることで、事業者に対し、実効的な営業秘密管理の実施を啓発している。

 しかしながら、経済産業省及び独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が、平成29年3月17日に公表した、「企業における営業秘密管理に関する実態調査(注1)」(以下「実態調査」という。)5~6頁によれば、アンケート対象企業中、8.6%の企業が、過去5年間の間で、営業秘密の漏えいがあった旨回答している。そして、営業秘密の漏えいがあったと回答した企業における漏えいのルートについては、「現職従業員等のミスによる漏えい」「中途退職者(正規社員)による漏えい」であったとの回答が多数を占めている。このように、営業秘密漏えい事案は、被侵害企業の役職員等、「身内」の故意又は過失による漏えい行為によるものであることが多いという実態が示唆されている。営業秘密漏えい事案は、その漏えいルート、手法、規模、性質も事案によって様々であり、企業において、漏えいを水際で完全に防止する対策を講じることは困難を伴う。特に、「身内」の故意又は過失による漏えい行為が介在する事案においては、業務上、適法に営業秘密を利用することとのバランスから、あらゆる可能性を想定して対策を講じることは難しい。

 以上のような実態を踏まえると、企業においては、「実際に営業秘密が漏えいした場合に、いかなる方策を用いて、当該漏えいにより被った損害を塡補することができるか。」という、事後回復的視点におけるリスク管理についても、あらかじめ理解しておくことが有用であると思われる。そして、この「損害の塡補」のため、法律上、直接的に用意されている方策が、不正競争防止法における損害賠償請求規定である。

 よって、以下では、不正競争防止法における「損害論」の概要を述べた上、その規定を踏まえた企業としての留意点を検討することとしたい。

2 不正競争防止法における損害論の概要

 (1) 営業秘密侵害事案における損害の範囲

 不正競争防止法4条は、「故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。」と規定する。当該規定の「不正競争」には、営業秘密の不正取得、不正開示等を含む、営業秘密侵害行為が当然に含まれている(不正競争防止法2条1項4号~10号)。そのため、被侵害者は、同条を根拠規定として、侵害行為者に対し、損害賠償請求を行うことができる。

 営業秘密侵害事案における損害には、将来の売上減少による損失、営業秘密侵害行為による被侵害企業の商品の価格の低下等、「営業秘密侵害行為がなければ得られたであろう利益」のほか、被侵害者の名誉・信用に対する損害等、いわゆる無形的損害と呼ばれるものも含まれる。また、営業秘密侵害行為を発見確定するために費やした調査費用、弁護士費用等も含まれると解されている(注2)

 (2) 推定規定の存在

 営業秘密侵害による損害額の立証責任は、被侵害者が負うのが原則であるが、被侵害者において、その損害額を立証することは困難であることに鑑み、不正競争防止法5条は、損害額に係る推定規定を設けている。各規定の概要は、以下のとおりである。

 ア 侵害組成品の譲渡益(不正競争防止法5条1項)

 不正競争防止法5条1項は、侵害行為者が、侵害の行為を組成した物(注3)を譲渡したときに、「侵害行為者の侵害組成品の譲渡数量×被侵害者が侵害組成品を販売した場合の利益単価」を、被侵害者の当該物に係る販売その他の行為を行う能力に応じた額を超えない限度において、被侵害者が受けた損害の額とすることができる旨規定している。ただし、侵害行為者が独自の営業努力や販路を通じて侵害組成品の販売数量を増やした場合等、被侵害者が、侵害行為者の譲渡数量の全部又は一部に相当する数量を販売することができない場合、その数量に応じた額は、上記損害額から控除される(不正競争防止法5条1項但書)。

 なお、営業秘密侵害事案において上記規定を用いることができるのは、侵害対象となった営業秘密が、技術上の秘密である場合に限られる(同項括弧書)。したがって、例えば、「侵害組成品」が観念できない顧客情報漏えいの場合、上記規定を用いた損害賠償請求をすることはできない。

 イ 侵害行為者の利益(不正競争防止法5条2項)

 不正競争防止法5条2項は、被侵害者が、営業秘密侵害を含む不正競争によって営業上の利益を侵害された場合、侵害行為者が侵害行為によって受けた利益を損害の額と推定する旨規定している。

 ウ 使用許諾料(ライセンス料)相当額の請求(不正競争防止法5条3項)

 不正競争防止法5条3項3号は、被侵害者が、営業秘密の使用(不正競争防止法2条1項4号~9号)によって営業上の利益を侵害された場合、当該営業秘密を、他の事業者にライセンスする場合の使用許諾料(ライセンス料)に相当する金額を損害額として請求できる旨規定している。

 この使用許諾料相当額の認定にあたっては、これまで実際に被侵害者が営業秘密を使用許諾等していた場合、その場合に用いられた使用許諾料が算定の基礎として用いられることが多いようである。他方、かかる実施許諾例が他に存在しない場合には、それぞれの分野での料率の一般的相場を参考にすることが多いようである(注4)

 (3) 損害額の算定に係るその他の規定

 裁判所は、一方当事者の申立てにより、他方の当事者に対し、営業秘密侵害行為について立証するため、又は当該侵害行為による損害額の計算をするために必要な書類の提出を命ずることができる(不正競争防止法7条1項)。上記推定規定を利用した損害賠償請求訴訟においても、侵害行為者の侵害組成品の譲渡数量(同法5条1項)や、侵害行為者が侵害行為によって受けた利益(同法5条2項)は、それ自体、別途侵害行為者の営業秘密を構成し得る情報ともいえ、詳細な情報については、侵害行為者が保有する売上データ等を参照しなければわからないケースがほとんどであろう。不正競争防止法7条は、かかる場合の被侵害者の損害立証を容易にするため、当事者に対する書類提出命令を認めたものと考えられる。ただし、上記のとおり、当該書類が、一方当事者の営業秘密を含むものである可能性があることに鑑み、書類の所持者において、当該書類の提出を拒む正当な理由がある場合には、書類の提出を拒否することができる(同項但書)。

 また、上記書類提出命令が発令された場合であっても、提出される書類の数が膨大で、経理・会計の専門家でない裁判官・弁護士にとっては当該書類を正確かつ迅速に理解することが困難な場合や、提出された書類に略語や専門用語が用いられている等、その内容について説明を受けることなしに理解することが困難な場合も想定される。このため、裁判所は、当事者の申立てにより、損害の計算を行う鑑定人を選任し、当事者に対し、鑑定人に対する説明義務を課すことができる(不正競争防止法8条)。

 さらに、営業秘密侵害を始めとする、営業上の利益の侵害による損害は、経済活動を通じて発生するため、損害額の立証が極めて困難である。かかる立証の困難性に鑑み、裁判所は、被侵害者に損害が生じたことが認められる場合において、損害額を立証するために必要な事実を立証することが当該事実の性質上極めて困難であるときは、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる(不正競争防止法9条)。

3 損害立証の困難さ

 (1) 推定規定が想定する場面

 上記のとおり、不正競争防止法5条1項は、侵害行為者が、侵害の行為を組成した物を譲渡した場面を想定し、その譲渡数量に、被侵害者が侵害組成品を販売した場合の利益単価を乗じた額を損害額とできる旨規定している。また、同条2項は、「侵害行為者が侵害行為によって受けた利益」を損害額と推定するとのみ規定しているが、解釈上、「侵害行為者が侵害行為によって受けた利益」とは、粗利益、純利益又は限界利益と解されている(注5)。すなわち、同条2項の推定規定も、侵害行為者による、侵害された営業秘密を用いた販売行為その他の事業活動から得られる利益を損害額として推定している。

 このように、不正競争防止法5条1項及び同条2項は、いずれも、侵害行為者が、侵害した営業秘密を用い、侵害組成品の販売その他の事業活動を行っている場面を前提とし、当該事業活動から得られる利益を損害額として推定している。

 (2) 推定規定の盲点

 しかしながら、営業秘密侵害事案は、侵害行為者が、営業秘密を用いた販売その他の事業活動を行って初めてその侵害事実が顕在化するとは限らない。実際に、実態調査では、営業秘密漏えいを経験した企業が、営業秘密の漏えいを認識したきっかけについて回答した結果が掲載されているが(実態調査14頁)、「第三者から指摘を受けた」(41.3%)、「役員・従業員等からの報告があった」(38.5%)との回答のほか、「インターネット等に掲載されているのを偶然発見した」(11.5%)との回答が、「製品の類似品が市場に出回った」(12.5%)との回答とほぼ同割合で存在することがわかる。特に、大規模製造業者(注6)からの回答に限ってみれば、「インターネット等に掲載されているのを偶然発見した」(25.0%)との回答が、「製品の類似品が市場に出回った」(9.4%)との回答を大きく上回っている(実態調査15頁)。このように、営業秘密侵害事案においては、侵害行為者が、営業秘密を用いた販売その他の事業活動を行わない場合であっても、被侵害者の営業秘密が、何らかの形で公開されてしまうことにより、不可逆的に侵害されるというケースも想定されるのである。

 このようなケースにおける企業としての損害が最も顕在化する場合としては、実用化に至っていない、先端的なコンセプトや方法論たる営業秘密が不正開示された場合が挙げられる。企業における研究開発の結果、先端的なコンセプトや方法論が確立したとしても、それを実用化、量産化するに至るまでには、条件の最適化や歩留まりの改善のため、更なる研究開発が必要なのが通常である。よって、このような段階において、退職者や役職員等(以下「退職者等」という。)による不正取得、不正開示が行われたとしても、当該退職者等又は開示を受けた者において、直ちに、当該営業秘密を用いた事業活動が行われることにはなり得ない。しかしながら、先端的なコンセプトや方法論は、現在する技術的課題を解決したり、それに留まらず、企業として、新たな事業領域を拡大するために、技術者が、まさにゼロから産み出すものに他ならない。この「ゼロからの一歩」を産み出すために、技術者は、膨大な時間を試行錯誤に費やすことになる。そして、先端的なコンセプトや方法論は、まさに先端的であるがゆえ、これを保有する企業においてより錬磨することで、将来にわたり、当該企業に莫大な利益をもたらし得る「金の卵」となる。このように、先端的なコンセプトや方法論は、それが直ちに実用化、量産化可能な技術であるか否かを問わず、莫大な有用性と価値を有する技術であるといえる。

 そして、かかる技術の不正開示ないし公開は、保有企業に対し、当該技術を非公表のノウハウとして管理し、これを用いて独占的に事業活動を行うことで大きな経済的利益を享受できた可能性を逸失させるものである。

 以上のとおり、侵害行為者が侵害した営業秘密を用いて事業活動を行っている場面を前提とし、上記のような場面における莫大な逸失利益の可能性をカバーできないという点で、不正競争防止法5条1項及び同条2項の推定規定には、盲点があるといえよう。

 (3) 侵害行為者が事業活動を行っていない場合の損害立証

 侵害行為者が、侵害した営業秘密を用いた事業活動を行っていない場合における損害立証の方策としては、不正競争防止法5条3項を用い、使用許諾料(ライセンス料)相当額を損害として請求することが考えられる。実際に、営業秘密の不正開示のみが認定された事案において、同種営業秘密のライセンス料を損害額算定の基礎とし、比較的高額な損害が認定された事案も存在する(注7)

 しかしながら、営業秘密には、当該分野の基本的技術であり、ライセンスを受けることにより、被開示者が絶大な経済的利益を享受するものもあれば、そうでないものもある等、使用許諾料の範囲に相当な幅が生じることが当然に予測され、かつその算定基準も見出し難いことが多い。かかる要因等から、一般的に見れば、営業秘密侵害につき、不正競争防止法5条3項を用いて、使用許諾料相当額を損害額として認めた裁判例は少数であると言われている(注8)。また、特に上記(2)で述べた先端的なコンセプトや方法論たる営業秘密が不正開示された場合、被侵害企業において、実用化に至っていない技術をライセンスすることは到底考え難い。そうすると、ライセンスの可能性すら想定できない中で、使用許諾料相当額を観念することは極めて困難である。更に言えば、仮に同種営業秘密を使用許諾している場合があったとしても、営業秘密の使用許諾は、開示先企業とのクロスライセンスや、共同開発契約を前提とする場合も多いものと考えられる。この場合、クロスライセンスや共同開発におけるシナジー等も見越し、使用許諾料が安価に抑えられているケースも想定される。そうすると、使用許諾料が、被侵害企業が被るであろう損害を全てカバーしているとは言い難い。

 以上のように、使用許諾料(ライセンス料)相当額を損害として請求することは、必ずしも、被侵害企業の侵害を塡補するのに適切な方法とは言い難い。

 そうすると、被侵害企業としては、不正競争防止法上の損害賠償請求における原則論に戻り、「営業秘密侵害行為がなければ得られたであろう利益」及び被侵害企業の名誉・信用に対する損害等の無形的損害を損害として請求していくことになると思われる。しかし、特に、実用化に至っていない、先端的なコンセプトや方法論が侵害された場合、それにより被侵害企業が被る損害は、将来にわたって被るであろう損害が主なものとなる。そのため、かかる損害は、将来の市況、原材料価格の変動、実用化に向けた開発スピード、顧客需要の変動、競合他社の技術レベル等、様々な変数の影響を受け得るものであり、予測的要素を多分に含むものとなる。かかる変数を被侵害企業において予測し、客観的に損害額を数値化する作業は、多くの困難を伴うことが予想される。

 以上のとおり、侵害行為者が、侵害した営業秘密を用いた事業活動を行っていない場合、被侵害企業が損害を客観的に主張立証していくことは、困難を伴うと言わざるを得ない。

4 おわりに

 以

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