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ニューヨークのAKIとマンハッタン計画を思う

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 9月11日の世界貿易センタービルのテロ事件の犠牲者を悼む式典が、ニューヨークでは夏の終わりを告げる恒例の行事となった。毎年、マンハッタン島の南端に近いグラウンド・ゼロつまり世界貿易センタービルの建っていた場所で、残された親族の代表が、全ての犠牲者の名前を読み上げる。グラウンド・ゼロはアメリカの聖地となった観さえある。式典は、テレビで中継された。

 何年か前、ちょうど式典の日にニューヨークにいてテレビを見ながら、目元が熱くなるのを覚えた。よく知られているように、グラウンド・ゼロとは原爆の爆心地を指す言葉であったのが、テロの現場の惨状を表現する言葉として転用された。

 この式典を過ぎて、ニューヨークはすぐに秋に入った。秋といえばマンハッタン島北部のコロンビア大学の付近にAKIという日本レストランがあった。同大学で勉強していた1970年代中盤から1980年代にかけて、時々お世話になった。最後に食事に行った際には経営者が日本人から韓国人に代わっていた。まだ暖簾(のれん)を守っているだろうか。第二次世界大戦前からの古い店で、昔のニューヨークを知る人によると、かつては日本の諜報関係者のたまり場だった時期もあったとか。コロンビア大学の北はハーレムである。その頃のハーレムは、黒人の居住地区であった。日本の諜報機関が、この地区で騒動を起こそうと画策していたという説も、小耳に挟んだ記憶がある。

 このレストランから、100メートルも離れていないところにコロンビア大学の理学部の建物がある。その中の物理学の講義に使われる階段教室を1980年代だっただろうか、

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