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パブリック市場について考えよう

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 これまで、3つの拙記事において、パブリックな「マネー(PM)」、「人材(PP)」、「情報(PI)」について論じてきた。

 実はこれらは、バラバラのものではなく、マネー、人材、情報は相互に連動し、全体として「パブリック市場」のようなものを形成すべきなのだ。その市場の「人材」が、「マネー」や「情報」を活用し、社会的な活動・行動をしたり、社会的に貢献できるアイデアや政策案を創出したり、既存の政策や政治などをモニタリングやチェックしたりして、自分の考え方や政治的価値観に基づいて、社会を運営し、維持あるいは変革し、広い意味で社会的に貢献していくのである。

 ここでいう「市場」とは、売り手と買い手が集まり、商品などを取り引きする一般の「市場」(注1)とは異なる。このパブリック市場では、寄付や政府の補助金などのように、お金を出す人が、サービスやアイデアの買い手では必ずしもないのである。

 具体的な例をあげてみよう。あるNPOが、ゴミなどの環境問題を解決する地域活動をしているとする。その活動に共鳴し、ある人が寄付をする。このNPOは、その寄付を活用し、活動を推進する。その活動によって、地域におけるゴミの量が減り、環境問題が改善したとする。

 この場合、寄付した者は、その環境改善というサービスを個人的に買ったわけではない。NPOは、寄付者にだけそのサービスを提供したわけではなく、社会や地域全体に提供しており、寄付者本人も社会のために資金を提供しているのである。つまり、一般的な市場とは異なっているのだ(注2)。

 さて、この「パブリック市場」の属する市場の一つに、「政策(研究)市場」があると思う。

 これまでの記事で何度も述べてきたように、日本では、行政中心に政策が形成され、しかもそのプロセスはクローズド(閉鎖的)で、不透明である(注3)。行政を中心に、財界・業界団体や議員・政党などを加えたプロセスのインナーのプレーヤーやアクターだけによって政策が形成されてきたのだ。

 だが、このような手法は、80年代後半には行き詰まりはじめた。そこで、その手法やプロセスを変革するために、90年代、2000年代には様々な試みがなされた。しかしながら、これらは上からの変革であり、従来の行政中心の政策形成の弥縫策に過ぎなかった。

 そのため、結局はインナーサークルによるクローズドな政策形成が継続され、国民が自分の意見を政策形成に反映する場がないままであった(注4)。そのため、政治や政策と国民との間のギャップがますます大きくなった。2009年の政権交代は、そうしたことへの改善を期待して起きたと考えられる。その政権交代も、現在の政治の混迷に象徴されるように失敗してきており、国民の政治や政策への不信は深まっている。

 また東日本大震災や福島原発事故における政治や行政の対応の稚拙さと不適切さは、国民と政治や行政の間のギャップをさらに広げてきているといえる。

 このような状況を改善し、このギャップを縮めて関係性を強めるには、

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