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南スーダンで野球の試合前の「礼」に込めた思い

野球人、アフリカをゆく(11)宿舎のレストランで野球哲学を語り合った夜

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

練習の合間に適宜設けるウォータータイム。飲む順番はどうやら年功序列らしい。

<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者はこれまでのアフリカ赴任地ガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地南スーダンへの赴任を命ぜられ、今回は野球を封印する覚悟で乗り込んだ。しかし、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出し、ついに野球教室をやることに。毎日曜日に集まってくる青少年たちは、野球を見たことさえなく、なかなか野球の形にならないが、触れ合いを重ねる中で、彼らとの間に少しずつ信頼関係ができてきた。

 南スーダンの南部に位置する首都ジュバ市は、赤道から北に約450キロ、北緯4度に位置する。一年中暑いように思われがちだが、7月、8月は比較的涼しく、9月から徐々に暑さが増してくる。8月の終わりに赴任した私のジュバ生活も4カ月目、雨期は終わり乾期の11月になっていた。

 スタッフの住まいは、指定された長期滞在型の宿舎である。誰でも泊まれる普通のホテルではないため、宿舎の外に看板があるわけでもない。高い塀にはらせん状の鉄条網が縦に3段張り巡らされ、24時間警備員が2人体制で配置されている正門以外からは入ることはもちろん、のぞくこともできない。

 外見は物々しいが、中に入ると意外に快適。1階のレストランはオーナーがスリランカ人なのでスリランカ料理が中心だが、ほかにもコンチネンタル料理などメニューはいろいろだ。

ムーディーなレストランでイマニと

宿舎1階のオープンエアのレストランで食事をしながら野球哲学を語り合うイマニ(左)と著者。肌には防蚊スプレーをたっぷりかけ、足元には蚊取り線香と、万全のマラリア対策を施している。
 「トモナリ監督、お疲れさまでした!」

 夜になってもうだるように暑い空気を切り裂くようなハツラツと元気な声で、職場の同僚であり野球の相棒・イマニこと今井史夫が、ビールジョッキをもって乾杯を促す。アルコールに弱い私は、ノンアルコールのスパークリングウォーターのグラスを差し出した。

 「今日は暑い中での練習だったのに、イマニさん、元気ですね」と言うと、イマニは「今日は写真撮影ばかりでしたから」とジョッキを傾けた。

 恒例の日曜日、ジュバ大学グラウンドでの野球の練習。この日は人数が早めにそろったので、紅白戦を少し長めにやった。私は審判役を担い、イマニは、今日は暑いからお役ご免とばかりに、カメラマンに徹していたのだ。

 「このレストランは、オープンエアで夜も暑いけど、雰囲気はいいですよねえ。プールもなんかムーディーにライトアップされているし」

リゾート地かと思わせる雰囲気を醸すライトアップされた夜のプールだが、水は濁って底が見えない。電気は宿舎の発電機から供給されている。
 レストラン前の通路の向こうには小さいながらプールがある。地下水をくみ上げて使っているのだが、昼間にのぞいても濁って底が見えない。

 「まあ、プールといっても、オブジェみたいなもんですよね。泳ぐ気にはなれないですよ。健康に良くない」と意外に健康意識が高いイマニ。「健康といえば、マラリアに気をつけて過ごしていますけど、雨期のわりにあまり蚊をみないですよね」

アフリカの死亡原因、最多はマラリア

 アフリカ大陸では、エボラ出血熱や、エイズなど、死に至る病気があるが、人々が最も命をおとしている病因はマラリアだ。マラリア原虫を蚊が媒介し、刺されて感染してしまうと、素早く治療しなければ死に至るなど、重症化することもある。

 「いや、油断は禁物です。この宿舎は、池もありますよね。ボウフラが発生しかねませんから、本当は池なんかない方がいいんですけどね」と厳しいことをいうイマニは、南スーダンに赴任前、JICA本部で関係者の健康管理を取り扱う部署の管理職についていた。

 「宿舎の部屋には蚊帳がつってあるし、レストランもオープンエアですけど、天井にはファンが回っていて蚊を追い払っているし、防蚊スプレーした上に、長ズボンはいて足元には蚊取り線香を炊いていますから、大丈夫でしょう」と私が言うと、イマニは「私はアフリカ各地でマラリアにかかって大変な思いをした人たちをたくさんみてきましたから、神経質なのかもしれません」と言う。

 「僕はかつてガーナで3回マラリアを患いましたよ。でもそのうち2回は誤診でした。アフリカの罹患(りかん)者実数って、もっと少ないかもしれませんよ」と笑い話で返したとき、ウェーターが来た。渡されたメニューを眺めたイマニは、じろりと眼鏡越しにスリランカ人のウェーターを見上げ、満を持したかのように「中華丼」と言った。

 「はい? ここはバーミヤンじゃないんですから、そんなメニューないでしょう!」と一応礼儀として突っ込むと、ニヤリと笑って「この間、ここのシェフに作り方教えたんですよ」と自慢げに言う。「今は親子丼も教えているところです」と言いながら、「監督はサラダですよね」と、私の嗜好(しこう)をすでに知り尽くしているようで、本人からの回答も待たずに確認もせずに注文する。

 アフリカで仕事をするなら体力勝負。よく睡眠をとり、栄養をしっかりとって、免疫力を高めておけば、蚊に刺されたりしても発症しないとも言われている。

「ポリシー」を破ったウォータータイム

 「そういえば、野球の練習でひとつ疑問があるんです。練習中に飲ませている水のことなんですが」

 炎天下の元、練習をするなら、当然水分補給が重要だ。だが、ジュバ大学のグラウンドには水道がない。水は自分で持ってこなければならない。けれども、日本の子供のように水筒を持ってくる子は皆無だ。高校生くらいになると、小さなペットボトルをもっている子もいるが、多くは何も持たず、持っている子の水を分けてもらっているような状態だった。

 私はこれまでのガーナ、タンザニアでの野球指導経験の中で、野球道具以外のものを選手に与えることを極力避けてきた。交通費、食べ物、飲料など、直接野球に関すること以外のものまで面倒をみてしまうと、完全に援助となってしまう。

ジュバ大学に向かう途中、スーパーに立ち寄りペットボトルの水を購入する。冷えているボトルを選ぶとき、すっかり顔なじみのお店のご主人が手伝ってくれる。
 国際協力の仕事をしていると必ず考えるのが、「援助漬け、援助慣れが自立心を阻害してしまわないか」ということである。JICAの仕事でいつもそれを考えているからか、それがボランティアの野球指導にも自然と現れているのかもしれない。

 援助は一方的に与えることだが、協力はお互いできることをベースに目的を目指して力を出し合う。野球で監督と選手という間柄であっても、お互いをリスペクトしあう関係でありたいので、選手にはグラウンドに立つところまでは自立してほしい。

 しかし、南スーダンでは、これまでの私なりの「ポリシー」を破った。宿舎からジュバ大学のグラウンドに防弾車で移動する途中、小さなスーパーに立ち寄り、1.5リットルのペットボトルを十数本購入し、練習の合間に「ウォータータイム!」と叫んで、水を飲む時間を作って飲ませている。

「冷たい水は贅沢?」

 イマニも長年JICAに勤務するアフリカ経験の豊富な男だ。何でも用意して与えることでいいのか、そこまで面倒をみるべきなのか、と指摘するのかと思っていたら、「冷たい水である必要があるんですかね?」と意外な角度で質問してきた。

 「子供たちは、普段冷たい水は飲まないですよね。そりゃ、炎天下で水分補給は適切にする必要があるし、水道なんてないですから、水を与えてあげるのはいいと思うんですけどね。大型のウォータータンクを買って、そこに常温の水を入れればいいんじゃないですかね」

 「常温ですか。なるほど。でも、そんなウォータータンクを売っていますかね」

 「うーん、確かにジュバでは入手できないかもしれませんね」とちょっと悔しそうな表情をするイマニにさらに尋ねた。「それって、ぜいたくさせてはいけない、ということですか?」

 「そもそも水道さえないジュバですからね。冷えた水はやりすぎじゃないかと。それにペットボトルはごみにもなりますし」

 独立して8年目になる南スーダンの首都・ジュバは人口が急増しているが、都市インフラは不十分で下水道はなく、水は地下水を汲んで利用しているのが実情だ。飲料水は、ナイル川の水をくみ上げ浄水する施設があり、給水タンク車がそれを街中に運ぶ。井戸が利用できない市民は、タンク車から直接水を買い、飲料水や家庭用水に使う。

 「水は贅沢。確かにそうですね。本当は来年にでも水道が市内にいきわたるはずだったのに」

ジュバの水事情

2年以上中断しているJICAの無償資金協力事業。ナイル川から水をくみ上げ浄水し、市内に配水する。衛生的で安全な水を供給できるようになるジュバ給水プロジェクトは市民から感謝され、一日でも早い完成を待望されている。
 少し話がそれるが、ここでジュバの水事情を解説したい。

 日本では、どこであろうとも蛇口をひねれば安全な水が手に入る。しかし、ここ南スーダンでは違う。幸い、ナイル川が国を縦断して流れているし、雨期には通常、相当の降水量があるので、地下水は豊富だ。

 JICAは「ジュバ給水プロジェクト」という都市インフラ整備の協力をしている。ナイル川から取水し、浄水施設で水を浄化した後、市内の高台にある配水施設に水を運び、市内の120カ所の給水ポイントに配水するという、大掛かりな整備事業だ。日本の技術によって、きれいで衛生的な水を市民に届けられるのだ。

 しかし、政情不安や衝突が発生した2016年から2年間、工事がストップしている。それだけ間隔があいてしまうと、工事再開は容易ではない。途中だった工事の状況を精査し、再開に必要な経費を積算し、追加予算を日本政府から承認してもらわなければならない。そのうえで、施工業者が体制を再構築して工事再開にこぎつけるまでには、さらに時間がかかる。

ボールを洗ってきたジオン君

 話を戻そう。

 イマニの指摘はわかる。サッカーやっている子たちは、冷たい水なんか飲まないだろう。野球をやっていると冷たい水がもらえるんだぜ、みたいな言われ方も、野球が悪い意味で特別視されるようで偏見を持たれるようで嫌だ。

 これは野球哲学の問題だ。南スーダンで野球をやるにあたって、どうあるべきなのか。どう選手と関わりあっていくべきか。

 私は、野球をやるために、毎週ジュバ大学の塀を乗り越えてグラウンドに集まってくる子供たちに、昔の自分を重ねていた。野球を始めたばかりの小学5年生の頃。とにかくボールに触れていたかった。そのため暗くなって親に叱られるまで、毎日夢中になってボールの壁あてをやっていた。

 きっと、今、この子たちも、そんな気持ちだろう。

 「贅沢といってもこれくらいのささやかなレベルならありじゃないですかね。彼らのモチベーションも上げてあげたいですし。ペットボトルは散らかさないよう指導すれば、むしろ環境教育にもなりますよね」

 イマニが「そういう考え方もありますねえ」と返したとき、オーダーした「中華丼」がやってきた。私は手元の皿にとりわけながら、「そういえばですね」と話題を変える。

貸したボールを洗ってきました、と見せてくれるジオン。光るボールは心をあらわしているかのよう。
 「この間、さりげなくジオンに、僕が洗ってきた軟球を見せて、水で洗うとこんなにきれいになるんだよって言ったんですよ。そしたら翌週ジオンが、貸しているボールを洗ってきたんですよ。洗ってこいとは一言も言っていないのに」

 すると、イマニは「それは、洗ってこいと言っているようなもんですよね。ジオンの忖度(そんたく)ですよ、忖度」と笑ってちゃかしながら、「でも、洗う水はどうしたんでしょうね」という。

 そうなのだ。「洗ってこい」というのは簡単だ。しかし、洗い物用の水が家庭にあったとしても貴重な水だ。だからこそ、簡単に洗ってこいとは言えないし、たった3つのボールでも、洗ってきたことに対する思いは、とても重たく感じるのだ。

 「道具を大切にすることは伝えていきたいですよね。ボールも、本当は彼ら自身に洗ってほしいけど、当面は僕が宿舎で洗いますよ。部屋ではくみ上げた地下水が出るわけですし」と、私は流れでつい、マネジャー業も行う決意表明をしてしまった。

アフリカで試合前の「礼」の意味を確信

 「ところでね、野球哲学がらみで、トモナリ監督にもう一つ質問があるんですよ」。ウスターソースがたっぷり使われて、とても中華丼に見えないしろものをがっつきながら、イマニが尋ねてきた。

 「紅白戦を始める時、びっくりしましたよ」
 「えっ?なにがですか?」
 「日本の高校野球みたいに、整列して、礼!とやっていましたよね」

 この日、紅白戦を始める前に初めて教えたことがあった。ホームベース前に整列して向き合うこと。相手チームに敬意を払って礼をすること。帽子をとってお辞儀すること。試合前にこうした儀式を行うのは世界的には珍しい、日本の野球文化だ。

 「そうなんですよね。まさに日本式です。イマニさん、どう感じました?」

 「監督に忖度せずに正直に言えばですね」と、年上のイマニはちゃめっ気たっぷりにへりくだって返す。「そこまでやらせるのはいかがなものか、と思いましたよ」とさらりと言いながら、「私は異質なものをアフリカに持ち込むことには、基本的に懐疑的に思ってます」という。

 私は「ほほお、そうなんですね。確かに南スーダンには、整列して礼をするなんて習慣はありませんよね」と同調すると、イマニはジョッキのビールをグイっと飲んで「ですよね」と言いながら、メガネのフレーム越しに上目づかいで私を見た。

 「なんで、南スーダンの子供たちに礼をさせたのか、理由を訊きたいと思いまして」と、特段つっかかる風でもなく尋ねてきた。

 「するとイマニさんは、礼をすることに、反対なんですね?」

 「いや、それがですね、トモナリ監督がちゃんと説明した上でやらせたのがよかったと思うんですけど、彼ら、それなり理解して、納得してやっていましたよね。礼に始まり、礼に終わる、という日本の『道』の精神がわかってもらえれば、それはそれでよいのかなと思うんですよね」

 年齢の割には柔軟な思考をするイマニは、どうやら「礼」をすることは受け入れようとしているらしい。私は少しほっとして言った。

 「イマニさん、まさにおっしゃるとおりですよ。礼をすることは、柔道や剣道とある意味同じ『野球道』ですよね。ベースボールとは違う、日本の野球の在り方だと思います」
私が、イマニが手を付けていないサラダに、日本で買って持ち込んだゆず胡椒ドレッシングをかけながら、「でもね」と続けた。

 「僕は、中学、高校、大学と野球を続けてきましたけど、試合開始の時の『礼』は日本式の挨拶程度にしか考えてなかったんですよ。礼をする意味なんて、誰も教えてくれることはありませんでしたし」

 「でも、監督は、今日グラウンドで『相手にリスペクトを示すために礼をするんだ』と説明していましたよね」

 いぶかし気に尋ねるイマニに、私はサラダを口にしながら答えた。

 「礼、を導入する意味について、確信をもったのは、アフリカで野球を教え始めてからなんですよね」

Tudoran Andrei/shutterstock.com

アフリカでの「野球哲学」最後のワンピースはタンザニア

 「ガーナからですか?」

 「確かにガーナでも、試合前に整列して礼をすることは教えていました。でも、その時は僕自身、深く考えていませんでした」

 ちょうどその時、ウェーターがピザを運んできた。熱いうちに食べなきゃ損と言わんばかりに、ちゃかちゃかと切り分けてくれたイマニに、お礼を言って、「ガーナから始まった僕のアフリカ野球との長い付き合いは、かれこれ24年にもなるんですけどね」と話しながら、自分の小皿にピザを一片乗せた。

 「アフリカ野球のあるべき姿、あり方の答えが整理できたのは、タンザニアなんですよ。タンザニアでの野球に関する3年半の経験と出会いが、アフリカでの『野球哲学』が確立される、最後のワンピースだったように思います」(つづく)