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「環境」が欧州を変える

スイス緑の党の躍進に見る欧州政治の潮流変化

花田吉隆 元防衛大学校教授

 その昔、社会党の土井たか子委員長は、総選挙で社会党が大勝した時「山が動いた」と言った。さながら今回、スイスで「アルプスが動いた」。10月20日の総選挙で緑の党が大きく躍進、前回2015年の選挙時から5.6ポイント増やし12.7%とした。スイスにはもう一つ「自由緑の党」がある。2007年、緑の党のうちの中道グループが分派してできた。これも前回から3ポイント増の7.6%だ。両党を併せ、前回比9ポイント増の20.3%となり、「環境政党」が下院で第二の勢力となる。これはかつてなかったことだ。

 第一党はこれまで同様、右派の国民党(25.8%)だが、こちらは前回から3.1ポイント減らした。国民党はこれまで反難民を強く訴え、さながら極右かと思われる主張を繰り返してきた。前回、国民党はこれまでで最も多い29.4%を獲得したが、これはいうまでもない、2015年の難民危機が背景にあった。スイス国民は押し寄せる難民の恐怖から国民党を支持したのだ。その国民党の主張は、今回、空振りに終わった。

イスラム難民に強い拒否感、国民党が政治の中心に

 スイスは古来、移民を積極的に受け入れてきた。ちょうど、欧州の中央に位置し、様々な民族が行き交う場所にあたる。移民や難民の行き先としてスイスは格好の位置づけにあった。第二次大戦後、戦後経済の苦しい中、イタリア等地中海諸国から多くの移民がスイスにやってきた。その後1990年代、ユーゴ危機が勃発した時、多くの難民がスイスに向かった。スイス居住者の2割が外国出身者になるに及び、さすがのスイス人も、これ以上受け入れてはスイスがスイスでなくなる、と拒否反応を示した。しかし難民の波はその後も収まらず、2000年代、中東の不安定化に伴い、イスラム難民が急増する。

 初め、地中海諸国から移民がやってきた時、スイス人はこれを違和感なく受け入れた。同じ欧州の人たちだ。やがてスイス社会に溶け込んでいくだろう。ユーゴ難民の時、やや事情が異なった。ユーゴはスラブでスイスとは違う。しかし、違和感は次のイスラムほどではなかった。イスラム難民がスイスに押し寄せた時、人々は強い拒否感を示した。イスラムはスイスと相いれない、彼らは異質な存在だ。

 そういう国民心理を国民党が捉えた。「スイスはスイス人のものだ、移民を受け入れるわけにはいかない。」当時のクリストフ・ブロハー副党首の演説はさながらトランプ大統領のスイス版だ。否、スイスはトランプ大統領に先立つ20年も前からこう言っていた。スイスの方がポピュリズムの「先進国」である。2003年、それまで議会で後塵を拝していた国民党は総選挙の結果大きく躍進、一躍第一党に躍り出た。以来、国民党はスイス政治の中で中心的役割を演じていく。2015年の難民危機は、そういう国民党の立場を一層揺るぎないものにしていった。

スイス政治の潮流に変化、環境が前面に

初雪を目前にしたスイスの氷河で、溶けないように保護するシートを取り外す人たち
 スイス政治はこれまで、そういう流れの中にあった。そのスイスで今回「山が動いた」のだ。南ドイツ新聞は「スイス社会の風向きが変わった」「スイスの右傾化は過去のものとなりつつある」といい、ツァイト紙は「スイス政治の権力の重心が移った」という。保守化一辺倒だった政治地図が一気に「左」にふれ、「環境」が政治イッシューとして前面に躍り出た。明らかなスイス政治の潮流変化だ。しかし、これはスイスだけの現象でない。欧州議会選挙然り、ドイツ然り、オーストリア然り。欧州政治全体が変化しつつある。

 スイスの場合、国民はとりわけ環境に敏感だ。人々の生活は自然と共にある。アルプスから流れ出る水は国土をくまなく潤し、人々はアルプスの空気を吸って、牛を飼い、馬を飼い生活している。そういうスイス人にとり、アルプス氷河の異変ほど気候変動を身近の脅威として感じられるものはない。アルプス氷河といえば、夏でも溶けることなくその堂々たる威容を人々に見せつけてきた。スイス人は昔からそういう姿を見て育ってきた。それがあろうことか、氷河が年々、無残な山肌をさらしていく。アルプスの平均気温は、19世紀半ばから既に2度上昇したという。これは何とかしなければならない。目の前に、変わりゆく氷河の姿を見せつけられ、環境問題が人々の最優先課題にのし上がるのに時間はかからなかった。とりわけ若年層が敏感に反応した。毎週金曜、若者たちは環境保護を訴え、通りを練り歩いた。「フライデー・フォー・フューチャー運動」である。

 これに対し、

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