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科学者は、殻を抜け出て社会とどう向き合うか

奈良先端科学技術大学院大学フォーラム2011「まるごと」採録

 「満20歳」となった奈良先端科学技術大学院大学が昨秋、朝日新聞社と共催で「NAIST東京フォーラム2011」を東京・有楽町朝日ホールで開いた。3・11後、科学者は社会とどう向き合うべきか、この時代の大学の役割とは何か。専門の垣根を超える脱タコツボをどう実現するか。人文系や実業界の論客も交えたパネル討論は、幅広い視野に立つ問題提起をはらんでいる。発言のほぼ全容を採録する。
 (フォーラムは、2011年10月20日に開催。この採録では、文章を整えたり、わかりにくい箇所を削ったり、補いを入れたりするなど、最小限の調整をした)

●パネリスト
相澤益男さん 内閣府総合科学技術会議議員、元東京工業大学学長
太田賢司さん シャープ副社長
鷲田清一さん 大谷大学教授、前大阪大学総長
村井眞二さん 奈良先端科学技術大学院大学理事、副学長
●コーディネーター
尾関章    朝日新聞編集委員
(文中の写真は、金川雄策撮影)

司会:お待たせいたしました。それではパネルディスカッションを始めさせていただきます。早速、ご出演の皆様にご登場いただきましょう。どうぞ大きな拍手でお迎えください。

 それでは、順にご紹介をさせていただきます。第1部でご講演をいただきました相澤益男さんです。シャープ株式会社副社長、太田賢司さんです。前大阪大学総長で大谷大学教授の鷲田清一さんです。奈良先端科学技術大学院大学理事で副学長の村井眞二さんです。そして、コーディネーターを務めていただきます朝日新聞編集委員、尾関章さんです。

 ディスカッションのテーマは「科学と社会のあり方、大学の使命」です。では、ここからの進行は、コーディネーターの尾関さん、よろしくお願いいたします。

尾関:朝日新聞編集委員の尾関と申します。ずっと私、科学を取材してまいりました。何よりも今日は、この奈良先端科学技術大学院大学20周年を記念するシンポジウムです。私ども、奈良先、奈良先と呼んでいる大学ですが、「奈良先君、二十歳になっておめでとう」と、このように申し上げたいと思います。

 そして今日、このパネル討論に入る前に、いま基調講演として、相澤先生から大変にわかりやすく、第4期科学技術基本計画にかけた思いと、そのエッセンスをお話しいただきました。どうもありがとうございました。それで、これからは、その相澤先生のお話を踏まえて、科学技術と社会ということで、この4人の方々とともに話し合っていきたいと思います。今年はとりも直さず大震災、そして福島第一原発の事故ということで、私たち、多くの普通に暮らしている者が、科学というものを、ある意味で身近なものと感じ、ある意味で、それに首をかしげ、これからどうしていったらいいんだろうと考えているというときでもありますので、今日の話し合いは大変、意味深いだろうと思っています。

 さて、それで、ちょっと今日のこの話の約束事を決めておこうと思います。今日は皆さん、大学の総長をなさったり、学長をなさったり、副学長でいらしたりとかいう大先生ばかり、あるいは経営者の方がいらっしゃいますが、この場では「先生」という言葉は使わないで、さんづけで呼ばせていただきます。

 もう一つは、ここにも時計がちゃんと置いてありますが、時間を守って充実した議論を盛り上げていくために、私のほうから厳しいお願いを申し上げますが、おひとりがだらだらと、あんまり話さないでいただきたい。何よりも、僕自身が、あんまり話しちゃいけないと思っていますが、1回マキシマム5分以内と、3分ぐらいでポンポンといくという感じで話を進めていきたいなと思っています。

 そして今日、大きな流れとして、いろんなことを楽屋で話し合っていたんですけど、大きな柱としては、科学の世界の問題として、相澤さんのお話にもあった縦割りを何とかできないかというお話を、いろんな角度から話し合ってみたい。もう1つは、科学者が社会に向けて何を発信していったらよいのだろう、とりわけ大学というところが、どういう役割を担っていったらよいのだろうと。この辺を中心に2本柱でいきたいなと思っています。

 あとは談論風発といいますか、それぞれのお話に沿って話をと思っていますが、最初に、まず、相澤さんのお話、いろいろな思いを持って受け止められたんではもりないかと思います。最後のほうでもちょっとありましたが、政府がGDP比4%のうち1%を担う。残り3%は、相澤さん、民間ということですよね。そういう意味じゃ、今日、そういう民間セクターの代表選手としていらっしゃる太田さんから、お話を伺いたいなと思います。

太田賢司さん

太田:ご紹介いただきました太田でございます。私、ずっと会社の中で研究開発あるいは技術経営というようなところをやってまいりました。ここ2、3年といいますか、リーマンショック以降、あるいは、その前ぐらいから少しおかしかったのかもしれませんが、大きな環境変化がありまして、会社の中でも研究開発に閉塞感というのが漂っていたんですけれども、今日の(相澤さんの)お話は、課題から科学技術を考えていくべきであるというご提案でしたので、非常に方向づけがはっきりしたと思って、これから以降の議論も、それに向けて一緒にやらせていただければと思います。以上です。

尾関:ありがとうございました。お隣の鷲田さん、今日、鷲田さんの役回りというのは、圧倒的理系集団の中で人文科学系の視点から、ということなんですが、この間ちょっとお電話でお話ししたときも、やっぱり今年は、社会の側にいろいろと科学者に対する思いが高まっているときだというお話がございました。そういう視点を盛り込んで、先ほどの相澤さんのお話に対するご感想をいただければと思います。

鷲田:私、8月まで大学で学長をしていたわけですけれども、そういう立場で大学という高等教育、そして先端科学研究を担う側から申しまして、今回の第4次の基本計画にも盛り込まれていることでは、震災、特に原発の問題と科学研究、科学技術との関係は、やはりすごく気になっております。特に私どもが一番重く受け止めました問題は、科学並びに科学技術への一般の方々からの信頼というものに、かなり大きなダメージが与えられたということです。

 これまで、例えば大学で、いろんなシンポジウムを開いたときに、何かこういう事故のようなもの、大きな事故とか災害が起きたときには、市民の方が我々大学関係の専門研究者にですね、これはどうしたらいいんですか、あるいはどういう解決策があり得るのかという、いわゆる解決の方法についての質問が圧倒的に多かったんです。けれども今回、例えば震災関係あるいは原発関係のシンポジウム、何度か大阪でも開かせていただいたんですが、そのときに、そういう解決への問いというよりも、むしろ今回のことで浮上してきた本当の問題、本当に解決しなければならない問題とは何なのかという、むしろ問題の所在がどこにあるのかという問いが、これまでとは比べものにならないぐらいに多かったということに、強い印象を持っております。

 ということは、科学技術というのは、これまでは専門の研究者のもので、一般市民は、それの恩恵を被るというようなスタンスであったと思うんですけれども、そうじゃなくて、今年3月以降、科学技術というものが、自分たちにとってどういうものなのか、存在なのかということ、そういう意識が一般の方々に高まってきているような気がいたします。

 そんな中で、専門研究者側を代表する者として、今回非常に重く受け止めましたのは、先ほど言いました専門科学あるいは技術というものへの信頼が、かなり損なわれたということでありまして、特に日本はこれまで、技術では信頼がものすごく厚かった。例えば、新幹線が1分遅れただけでニュースになるとか、それから郵便の遅配というのは、めったにございません。こんなに確実な、郵便物と宅配便が届くところってございませんし、それから停電がめったなことでは起こらない。あるいは、品質管理が素晴らしい。クオリティーが高い。日本は技術及び科学技術への信頼というものを誇ってきた国なんですが、そこのところで、そういうものがちょっと台無しになるぐらい、専門家への信頼が損なわれているということも、非常に重く受け止めております。

尾関:今のお話については、また相澤さんに、ちょっとコメントをいただこうと思いますが、その前に、村井さんのほうから。村井さんは特に今日は奈良先を代表してということもありまして、大学人の立場ということで、ちょっとどんなご感想をお持ちになられたかをうかがいたいと思います。

村井:先ほど相澤さんから紹介いただきました第4期基本計画で、大学の責任と、期待されていることをひしひしと感じた次第であります。少し見方は変わるんですが、ここでもう一度、大学とは一体何なのかという原点を思い起こしてみたいと思うんです。大学は国民から信頼され、いろんな多くのことを付託されているわけです。その国民との、また人類との直接的な目線、意思の疎通が薄れてきているのではないかなというふうに思います。

 少しくどくなるかもしれませんけども、昔々、村々には古老といわれる方がいらっしゃいました。村が困ったとき、どうすればいいかというときに、その古老に相談に行ったものであります。それが、やがて村がもう少し大きくなりまして、寺子屋ができました。寺子屋では知識を授け、教育するとともに、そのコミュニティーの行くべき方向も示してくれたわけです。村の古老の話で思い起こしますのは、黒澤明さんの代表作に「七人の侍」というのがあるんですよ。その「七人の侍」では、村が飢饉で困って、なおかつ賊に、夜盗に襲われて続けている。村の人々が困って、どうすればいいんだろうということを古老におうかがいを立てにいくんですね。普段、ほとんど接触のないその古老が、侍を雇えと言うんですね。階級制度からは、百姓が侍を雇うなんていうのは、あり得ないことなんですね。これ一つの見識を示した例じゃないかな。古老、寺子屋、学問所、それから大学のプロトタイプが出てきた。

 大学は、やはり国民から付託されているものという原点を考え続ける必要がありますので、現代社会は大変複雑になっておりますけれども、ともすれば、国民からの目線を忘れるのではないかという気がいたします。先ほどのグリーンイノベーション、それから、ライフイノベーションは、言葉の背後に人々の顔を思い浮かべるという意味で、大変、原点に戻っていいんじゃないかなという気はいたします。それで、国民目線、人類のスタンドポイント、原点に返りますと、大学が果たすべき多くの機能の中で、一つは、ときの政府と距離を置くというのもあると思うんですね。それが我々、今度の原発の事故では反省することしきりで、大学人の一員として反省することしきりであります。今後、我々大学人は、国民のために、人類のために、やはりいろんな知恵とともに見識を示し続ける必要があるなと、改めて思いました。

尾関:ありがとうございました。今のお話で、とりわけ鷲田さんのほうから、一般の人たちの科学への信頼が少し、というか、かなり揺らいでいるという現実が指摘され、私たちもひしひし感じています。こういうことは、総合科学技術会議の中で、やはりかなり意識され、あるいは議論されたりしているのかどうか。あるいは相澤さんご自身のお考えを、ちょっとうかがえますでしょうか。

討論に先立って、基調講演する相澤益男さん

相澤:科学技術の信頼性という言葉には、いろんなことが含まれているので、単純に議論しにくいところがあります。例えば、先ほど、電車の正確さというお話が出ましたけれども、今回、あまり報道されていないんですが、新幹線はピタッと止まったんです。これは大変な技術だと思います。そして、これは以前の信越地震のときにも、あのような状況でピタッと止まった。ですから、今回の議論の中で、技術そのものについて、日本はやっぱり駄目じゃないかという意味での信頼性ということでは、私は、そういう方向に議論が行かないようにというふうに思います。

 もう一つ、重要なことは、技術はあるんだけれども、その技術を、どういう仕組みの中に組み込んでいるのか、そして、それをどうマネージしていくのか、私は一つの見方として、その部分に大きな問題があったと。ここの部分をしっかりと検証することが必要ではなかろうかと思います。今回において、技術そのものが非常に弱いという部分は比較的少ないんではないかと。ただし、津波、地震について、いつ来るということを想定するというよりは、これほどまでのものを予測し得なかったという学問としての問題点は、今、開かれている学会等でも議論されております。このところは、検証をやはりするべきではなかろうかと思います。だから、科学技術の信頼性というのは、期待値としてあったものがそのとおりいかなかったという意味なのか、現実に科学技術の中に根本的な信頼性に欠ける部分があったのか、ここのところを切り分けないと、議論は先へ進まないのではないかというふうには思います。

尾関:なるほど。今のあたりの議論というのは、深めていきたいところでありますけれども、今日はそういうテーマでないので……。相澤さんのお考えというのは、そういうことであると。今、ちょっとおっしゃられた予測の議論というのは、静岡での地震学会なんかのことを言われていらっしゃるんですね。

相澤:そうです。

尾関:なるほど、わかりました。この、一巡目のお話の中で、何か、太田さんだけすごく、厳格に時間のお約束をお守りになって、短かったので、特別にご発言の機会をと思いまして。今度の第4期で、イノベーションの1つがグリーンですね。やっぱりシャープというのは、今回もつくづく感じましたけれども、日本企業の中で3・11よりも前に、自然エネルギーと言いましょうか、リニューアブルのところに先駆的に投資をされて頑張ってこられた。この第4期計画の中にグリーンが出てきたというのは、単に目標をつくってくれて良かったねという以上に、そういう企業を担っているお立場で、いろんなお考えがあるんじゃないかと思って、ちょっとそこだけ一言いただけますでしょうか。

太田:私ども、大体10年ぐらい前から、液晶テレビを一生懸命にやって結構市場ができるだろうと言った途端に、その次のテーマを何にするのか、というのが会社における研究者の1つの大きな目標だったわけですね。ずっと長年やってきた太陽電池というのは何のためにやっているのかというと、やっぱりエネルギーの多様性というか、それを助ける1つになるだろうと、実際にやっている人たちは考えていた。そのころから言われていた話として、温暖化という議論のだいぶ前からある話なんでしょうけど、ガソリンなり石油なりの価格がだんだん上がってきている。これは少なくなってきているからで当たり前の話だろうから、そういうものを考えたときに、やはりソーラーというのは、会社においても1つの大きな重点テーマになるだろうと、そう思ってやっていたというのが1つですね。

尾関:国の政策が出る前からやってこられていたというお話は、なかなか面白いなと思います。というのは、村井さんの先ほどのお話の中にあった、大学は国との距離感を持っているべきだったという思いがあるとのお言葉が大変印象に残っているからです。もちろん政府が、いろんな形でこういう計画を立て、相澤さんがおっしゃるように4%のうちの1%は担うけども、3%は民間にということですので、必ずしも政府と一体に寄り添うんじゃなくて独立していろいろやっていくということが、こういうときにすごく心強い。そういう産業をシャープが興していたということになるのかな、という感じはいたします。

 科学に対する不信の問題は、後段でぜひ議論を深めたいので、その前に、第4期のミソが、やはり縦割りを排するということですよね。第3期は重点分野として、例えば情報だとか環境だとかライフだとかを決める形でしたが、今回は、そういうことではない。

 第3期までは、それぞれの分野ごとに一生懸命研究しましょうねという色彩が強かったけれども、第4期で相澤さんたちがお考えになったのは、そういう壁を取り払って、課題解決型の、科学者の間の分野を超えたダイナミズムみたいなものを大事にしようというお考えだということですね。奈良先は、そういうことをお考えじゃないかなという感じもいたしますが。

村井:今回の基本計画は、一口に、課題解決型の目標を置いたというふうに言われていますけども、相澤さんが講演で述べられたように、やはり人類の目標を高らかにうたってあるという意味で、大変いいと思いますね。やはり従来型の、たこつぼ型、専門領域型ではそれを達成できなかった。これが第3期計画に対する反省であって、この新しい計画になったのは、相澤さんのお話のとおりで、私は非常にいいなと思いますね。なおかつ、課題設定型でありながら、お話もありましたように、基礎研究に関して十分な配慮がなされているということも非常に良かったと思いますね。

 せっかく奈良先端大のことをおっしゃっていただきましたので、少し話させていただきますと、私たちの大学は、非常にコンパクトな大学なんですね。コンパクトな大学で、大学院しかなくて、旧来の学部でいいますと3つの学部があるだけなんですね。情報系、バイオ系、それから物質系で、これから大きな課題を解決するに必要なアンダーワンルーフが実現されている大学だと。一つ屋根の下で研究者が接触することが、非常に大事なんですね。それが実現されている大学だなという気がいたします。

 一つだけ、例を申し上げさせていただいていいですか。京都大学の、iPS細胞の山中伸弥先生のご研究がありますね。私たちは、京都大学の先生と言わずに、奈良先端大の栄誉教授と言わしていただいているんですけども、あの研究の骨格は、私たちの大学でできたわけです。我々のところのバイオサイエンス研究科と情報科学研究科が非常にいい関係にあって、コラボができていた。バイオインフォマティクス的なところも、きちんとやっていた。どういいますかというと、生命系では、もう莫大な量の情報が出てくる。情報処理の技術、専門的な技術がなくしては処理し切れないと。あるところから重要なインフォメーションを選ぶにはどうするかということで両研究科の共同研究がありまして、その中で、どういう遺伝子を入れたらいいかという大枠が絞り込めたんですね。こういう融合型の研究がなければ、あの研究は多分、ずっと遅れていたんじゃないかなと。そういう意味で、たこつぼ型でない、アンダーワンルーフでいつも接触するということは、大変大事だというふうに考えています。

尾関:なるほど、山中iPSにも、奈良先のバイオ系と情報系両方のインタラクションがあったということですね。相澤さんに、ちょっとうかがいたいんですが、今、科学の分野で動いているところは、いみじくも村井さんがおっしゃられたバイオインフォマティクスという形で生命科学と情報科学が深く密接にかかわっている。それから、例えばロボティクスですね。ロボットなんかは、ブレインサイエンス、脳の話と、情報工学とか、あるいは機械工学もかかわっているのかもしれません。何かそういうものがすごく動いている。やはり、そういうことも、縦割りをなるべく排したいというとき、意識されたんでしょうか。

相澤:まさしくそこが1つの重要なポイントです。

 今、世界の科学技術が、どういう動きを示しているんだろうかという調査が、いろんなところで行われています。そのときの調べ方が、いろいろな専門分野で小さく切り出して、そこでどんな状況が起こっているかということを調べるやり方なんですね。我々が問題にしているのは、その狭いとらえ方で、いま世界がダイナミックに動いていることを、とらえきれているのかということが、そもそもの問題意識でした。明らかに、その小さな専門領域に閉じこもらないで、村井さんからご指摘のあったような異分野が融合していったり、あるいは新しい分野がつくられてきたりという形で、ダイナミックなんですね。昔は一つの分野ができると、これがずっと継承されてきた。もうそういう時代ではない。ですから、こういうダイナミックな動きというものは重要視しなければならないだろうと思っております。

尾関:縦割り、あるいは、たこつぼについては、科学そのものとしても、そういうことでは駄目な時代になってきたね、ということですが、鷲田さんは、また別の視点から、科学者はもっと目を、視野を広げてほしいということをお感じなのではないかなと思います。ちょっとご意見をうかがえればと思います。

鷲田清一さん

鷲田:現代の科学技術、特に先端的なものというのは、意外と我々市民の生活の日常的な場面に、相当深い影響を与えるものが多いですよね。例えば、バイオサイエンスあるいはバイオテクノロジーにとっても、それは再生医療というような形で、我々の医療の中で選択を迫られるような問題というのが、いっぱい出てまいりますし、それから今日、ライフイノベーション、それからグリーンイノベーションという2つの大きい柱をご紹介いただきましたが、これは、やはり我々の21世紀の時代が抱える問題を象徴している2つの言葉だと思うんです。

 だが、そのグリーンを指す環境科学、あるいはライフを指す生命科学あるいは健康科学、それから今回事故があった原子力工学にとっても、単一の専門科学が全部その問題を引き受けるというのは、基本的に難しい。つまり、非常に複合的な科学及び技術の対象になっているわけですね。そうしますと、この現代の科学というのは、非常に複合的な形をとるようになっているので、一専門科学でコントロールが利かない、あるいは全体を俯瞰することができない。

 しかも、科学者の側は、どんどん科学の進化とともに専門領域というのが細分化されていきますから、確かに専門の科学者集団がそれを研究されているんですけれども、一人ひとりの専門家をとりますと、ある限られた領域については徹底的に詳しいけれども、同じ問題にかかわるそれ以外の領域に関しては、一般市民と同じで、ほとんど全く素人に近いということになる。要するに、今は科学の専門家というのは、同時に「特殊な素人」というふうに考える必要があると思うんですね。だから、例えば健康問題についても、環境問題についても、原子力工学についても、原子力発電についても、ある意味では、本当の専門家がいないということなんです。それ自体の専門、その複合科学自体の専門家がいない。そうすると、一体、専門家や学者は、その専門科学の知識プラスどういう知性を、あるいは判断力を、あるいは能力を、知的能力を持たなければならないかという問題が、現代の科学研究では大きく浮上してきているんじゃないかと思いますね。

尾関:鷲田さんは、この間まで大阪大学の総長でいらして、大阪大学というのは、ある意味で理系の非常に強い大学ですよね。そういう中で、理系の大学院生に人文系の教育の場を与えようといういろんな試みをされたとうかがいましたが、ちょっとそのお話をしていただけますか。

鷲田:もう5分しゃべってもいいんですか(笑)。

尾関:1回、僕の発言が入りましたから。

鷲田:1回、後でパスしますので。

 (大阪大学の)コミュニケーションデザイン・センターというのは、法人化後すぐにつくったんですけれども、要するに、そこで何をするかといいますと、大学院、特に後期課程、博士になる人たちですね。15の研究科が医学から文学まであるんですけれども、そういう人たちを一堂に会して、教養教育とコミュニケーション教育をやるということなんです。

 それまで、教養教育というと、大学に入って1、2年生で、まず広くやって、それから専門に行くというイメージだったんですが、先ほども言いましたように、研究を深めれば深めるほど、狭い領域に入っていきます。しかも、その成果が技術化されて、そして人々の生活の中へ還流してくるという意味では、影響力がすごく大きいので、だから専門家になればなるほど、教養が、あるいは全体をトータルに見る社会的判断力が必要だという、そういう考えに立ちまして、上位学年に行くほど教養教育を重視するという仕組みに変えたんですね。

 だから、例えばBSEの問題なんか授業で取り扱ったときにも、日本が米国産の牛肉の輸入に制限をかけたときにこれを解除するためには、どんな条件をつけたらいいだろうかということで、みんなで、やっぱりディスカッションをするんですね。そうすると、誰もBSEの専門家っていないわけです。

 でも、一番近いのは、やっぱり医学系、薬学系、あるいは生物系の人たちで、最初はそういう人たちが一種の疫学的議論を侃侃諤諤やっているわけですが、しばらくすると、経済学研究科の学生が、これは輸入再開の条件の問題であって、その背景にある貿易摩擦のことを視野に入れなくて答えが出るはずないじゃないかと言うと、次は、政治学の学生が、いやいや、これはそもそも外交問題というコンテクストの中で考えないといけないと言っていたら、一番この問題に口出ししにくそうな文学研究科の、我が文学部の学生が、みんなスケール小さいな、タイムスパンが短すぎるよと。これは、そもそも、なぜ、そのウシに肉骨粉という、つまり人間では禁止しているカニバリズム、自分たちを食べるという、そういうことを強いたのかという、人間の牧畜文明の業みたいなものから考えていかないといけないということで、牧畜文明全体の問題まで広げていく。

 誰が正しいんじゃなくて、みんなが、そういう問題の脈絡もあるか、こういう問題も考えんならんというふうに、問題を本当に多角的、立体的に見るようになるんですね。そういう視線を絶えず持つということをトレーニングするために、博士課程に行けば行くほど教養教育、全く専門の違う人に自分のしている研究の意味とか可能性とかを本当にわかる言葉で、そして本当に面白く、相手が関心を持ってくれるように話ができる、逆に自分が全く素人の領域の話も聞けるというトレーニング、そういう教養教育とコミュニケーション教育を試みつつあります。

尾関:その場に居合わせたかったですね、そのディスカッションの場にね。そういう議論があると、科学者が、どういう研究テーマを、どういうふうに考えていったらいいかということに思い巡らすとき、非常に刺激になるのではないのかなって感じがします。どうぞ。

相澤:今、特殊な素人と。非常に言い得て妙ではないかというふうに思うんです。私どもの問題意識と全く同じだというふうに申し上げたいと思います。

 つまり、専門の人たちは、次々と自分の専門を突き進んでいきますから、どうしても細分化されていってしまうんですね。それが同時に専門家であるということのレッテルでもあるわけですね。そういう方向性の科学技術はあって当然なんですが、今必要なのは、全体像を俯瞰的にとらえる専門家がいなくなってきているというふうにとらえたほうが健全ではないかというふうに思うんですね。すべてが一方向に、そういう細分化に行ってしまっている。ですから、まず全体感を持って科学をとらえることができるように、そういう専門家を備える、これが一つ。

 それからもう一つ、これは技術の分野に非常に明確に表われているんですが、日本が個々の技術では非常に強いのに、最後のシステムにするところが弱いと。これが、日本が今――この後、太田さんからコメントをいただければと思いますが――システムにするところに弱さがあるために世界に勝てないという部分となってきていると思います。

 これは、技術においても要素だけにこだわらず全体をシステムにしていく、この専門家が必要だということです。私は、狭くなっていくことを批判するよりは、そういう全体をとらえる専門家をもっと強化するべきだというところを申し上げたいと思います。

尾関:太田さんに、今のお話を。先ほど楽屋で、今の若い技術者に感じることとして、非常に有能な部分があるけれども、一方で、ちょっと物足りない部分もあるというようなお話がございました。それも、この縦割りの問題と関係してくるのかなと思いますので、その辺のお話をしていただけますか。

太田:ものすごく、レベルの低い話で恐縮なんですけどね、例えば、ある工場で、あるトラブルがありました。ある人たちが集まってきて、原因は何なのかと必死になって調べます。と、別の人たちが来て、二度と起こらないようにするのは、どうしたらいいかということを言い出した。さらに別の人が来たときに、こういうことをやっていたらブランド価値が下がるから、別のことをやらないといけないと。そういう話が往々にしてあるんです。そういう話があったときに、じゃ、こうしましょうという最後に総合的に判断する人が非常に少なくなっているという気がします。

 これ、もともとそうだったのか、最近の日本が弱いところなのかという話をすると、我々の会社が小さいころは、何もかもやって、何もかも責任を自分でとらないといけなかったんですけど、会社が、ある程度大きくなってくると、分業化してきます。専門家としてのレベルが同じような人たちが集まってきている。そうなってくると、よそに口を出すのが非常に怖くなってくるわけですね。だから、自分の話しかしない。

 先ほど相澤さんがおっしゃったように要素技術は強いんだけど、システム化は……。おそらくシステムとして売ろうとしたときに要素技術がわからないとできないと思う人たちが多いんじゃないかと。それは、どっかで話が出るんでしょうけど、人材育成なり教育の問題に、僕はかかわっているんじゃないだろうかと、そういう気がしています。

尾関:今のお話を深めたいんですが、教育論あるいは人材育成論になってくるかなと思うんですね。そういう教育論みたいなことで、鷲田さん、何かご意見ございますか。

鷲田:しゃべっていいんですか(笑)。

尾関:もちろん。

鷲田:実際に大学院の課程で、いろんな研究科の学生が集まって議論する、専門でない問題について議論するというのは、全体的な判断力を養成するには非常にいいトレーニングになるんですが、これはなかなか実は難しい問題で、大学にある学問というのは、医学系、理工系あるいは人文系、社会系、それぞれ研究と教育の長い歴史の中で培われたスタイルというのがあるんですね。

 特に医学系とか工学系の場合は、村井さんが、先ほどちょっと楽屋でおっしゃっていた、合宿みたいなもんだからと、毎日が。つまり研究スタイルで、みんなで実験をやったりされるわけですよね。そうすると、実際には、我々がそういう授業をしようと思っても、工学系の大学院から来てくれる学生は、ものすごく意識の高い学生か、その研究室から落ちこぼれた学生かという両極端で、普通の学生は、やっぱり合宿があって、もう、そこから離れられない。朝から晩までもう夢中になってやっていますからね。

 だから、それぞれの学問に研究と教育のスタイルがあって難しい。でも、そこから変えていかないことには、単に先生方が、新しい広域にまたがる総合研究のようなものをやられても、次世代の研究者のマインドあるいは能力自体が育つということは起こらないような気がします。そういう意味の教育の改善というのは大事だなというふうに思っています。

尾関:どうしても、理系の、とりわけ実験系のところは、実験室に張り付いて、ずっと研究というか実験しているということがある。そういう中で時間をつくっていくというのは、なかなか難しいかもいれないけど、やっていかなきゃいけないというようなことですよね。村井さん、どうですか、やっぱり理系大学として、そういうふうになっちゃうんですかね。

村井:なっちゃいますね。おっしゃっていることはもっともで、もう少し違う時間の過ごし方をすればいいなと思うんです。思う一方、人生活躍するのは50年、そのうちの2年間ぐらいはフルタイムディボーションをやってもいいんじゃないかなと私は思うんですね。それを突き抜けたものは、かなりのものを得てくるんですよ。実験系の研究室には、それのいいところはありますね。それは、やっぱりなくすべきじゃないという気がしますね。

尾関:フルタイムディボーションのときもあるけども、欧米の大学にあるサバティカルみたいなものが学生時代にあってもいいですよね。夏休みでも何でもいいけども、なんていうふうにも思いますが……。太田さんの人材育成論、企業にいらっしゃるならなおさら、より若手研究者を育てるというところがあるかと思いますが、どういうご意見ですか。

太田:非常に難しいんですけどね、私ども、海外にも研究所を持っています。例えばイギリス、例えばアメリカ、中国にも持っているんですけども、そこに行って研究者と話をしたときのイメージと、日本に帰ってきて話をするイメージとでは、だいぶ違うんですね。海外に行くと、これは偏見かもしれませんけども、各個人が、自分のやっていることをちゃんと理解して、こういうところのためにやっているということをちゃんとしゃべれる人たちが多い。

 日本では、シャープだけかもしれないですけど、繰り返し言いますけど、そうかもしれないんですけど、大学から入ってきて、あるグループの中に入って、ある仕事をやり出しますと、グループリーダーの意見があって、その下の人たちは、ほとんどそろうことになってしまう。

 それを、何とか独立して、私は何をやりたいとか、私がこれをやるんだとか、世の中が何と言ってもこれが重要なんだというようなことを言う人たちを、どう育てていくのかというのが、一つの非常に重要なものだろうと思っていて、一つの仕組みをつくってやっているんですけどね、会社の中では。

尾関:何となく大学はそうなんだけど、企業は、やっぱり上司の言うことを聞く人間ばっかりのほうがいいんじゃないかと、ふと思うんですけれど、決してそうじゃないということですか。やっぱり自分がこれをやりたいという強い主張をする、そういう若手をつくりたいと。

太田:すいません、何遍もしゃべって申し訳ないですけど、会社の中でも職場によるんだと思います。研究開発をやっているところは、僕は、そうあるべきだと思っていますね。

尾関:とりわけ、これから研究開発型の企業が大切になってくるし、そういうスタイルというのが求められているということなのかなという感じですね。相澤さん、先ほどのお話の中でも、1つの柱として基礎科学、そして人材育成ということがありましたが、あの言葉の中に込められたことというのは、今のようなことも入ってくるんでしょうか。

相澤:基本計画に話が行く前に、私は人材の国際循環から日本が取り残されているということを言いました。それは、世界の主だった大学と言われているところは、優れた学生を全世界から集めて、そして全世界にまた散らばらせている。それぞれのところで活躍させることが結局、その大学の存在価値を高めることになり、その国の力となっている。日本の大学も、近年は留学生を積極的に受け入れるという態勢になってきましたが、国立大学にとっては、今まで留学生はお客様という扱い方だった。ですから、しばらく前までは定員の中に入っていないというような状況でもありました。

 日本の国立大学は、日本のために、日本人のためにということが、あまりにも強く出されていたわけですが、それをもっと開いて、世界から本当に優れた学生を集め、そして散らばせて活躍させる、そういうことが国際循環です。このリンクが強い程度が、私は大学のレベルを決めているのではないかというふうに思っているぐらいです。

 それで今、日本の学生に欠けていると思われるのは、そういう意味で、いろんな国、文化の違いを超えて、とにかくやり合ってみること。自分の主張も言い、そして大きな志としては世界をリードするんだぞというような気持ちにもなり、そしてそれを一緒に学んだ人間を中心としてネットワークづくりを進めていく。こういう構図ができるということが、日本の存在感を増すことだというふうに思います。

 ですから、教育は、そこのところの原点に戻って、グローバル化されたんだから、今までのように国の中で閉じた発想ではなく、日本の大学が育成するのは、決して日本人だけではなく、世界で活躍する人材を育成するんだという考え方になる必要があろうというふうに思います。そういうようなことが基本になって、4期の計画のいろんなところに、それを入れ込んであるつもりです。

尾関:教育の問題から、大学のお話になり、大学の、しかも国際化というお話になってきました。村井さんのご意見として、アジアというのを意識した国際化ということを言われていらっしゃいますが、その辺のところを、ちょっとお話いただけますか。

村井眞二さん

村井:今、相澤さんのおっしゃったことは大変もっともで、私たちも、その方向に近づけたいと努力しております。川柳で五七五七七の一番最後に「それにつけても金の欲しさよ」というのをつければ、何でも川柳になるそうで、この状況も実はそうなんです。

 話が戻りまして、そのアジアですけれども、日本がアジアの国々と、アジアの人々と、非常にいいパートナーシップを築いていく必要があると。それが、まず、ひょっとしたらアジア化ではないかなという気すら致します。どうしてかといいますと、非常にさまざまな宗教があり、さまざまな言語があり、さまざまな通貨、さまざまな経済システム、選挙制度、人々がいますね。そこのところで、何か事を起こそうと思ったら、解決策は一様ではないんです。非常に多重の、何種類もの解決策が要るわけですね。

 教育一つとっても、実はそうなんですね。学生食堂で、ちゃんとお祈りを済ませた食事を用意しなきゃいけませんから始まって、いっぱいありますね。アジアの、一口で言いますと多様性なんですけれども、多様性をいわば凌駕して、多様性を解決するんじゃなしに、多様性を武器にして社会モデルを立てることができれば、アジア型モデル、多様性モデル、これは、ひょっとしたら将来、今行き詰まっていますアメリカ効率型モデル、ヨーロッパ仲良しモデルに代わって、世界モデルになるんじゃないかなと。私は、まずアジアとパートナーシップを築くところから、大学もその一員として国際化、グローバル化を進めていけばいいんじゃないかなという気がしています。

尾関:グローバル経済という中で、企業経営に携わっていらっしゃる太田さんには、今のお話、同じようにいろいろお感じになられるところがあろうかと思いますが、大学ということを離れて、企業のありようとして、その辺のところは、どのようにお考えでしょうか。

太田:企業にとって何が重要なのかでは、やっぱり企業のサステナビリティが非常に重要だと思っています。そのサステナビリティを企業として保っていくために方法論はいろいろあるんでしょうけども、例えば水平分業型のビジネスで、もうからないものは切り捨てながら、もうかる方向に集中をしてやっていくというやり方と、もう1つは垂直統合型で、ネタをつくって、それから発展させていくというやり方がある。そうすると、シャープはどちらかというと後者をとってやっています。

 それをやろうとしますと、多様な文化、今おっしゃられたような多様な文化に合った製品をつくる能力が非常に必要だと思っています。これは、10年、20年ぐらい前から社内でもそういう議論をしてきた。ただ、ビジネスが、すぐそこに行くかというと、なかなか行かない。僕はこれからそういうことになっていくだろうと思うんですけれども……。

 例えば日本だと、もうほとんど電気製品が、新しい製品って要らないんじゃないかというぐらいそろってきていると。だけど、同じものを(外国に)持って行ったとき、非常にヒットするものもあるかもしれないけど、全然ヒットしないものだって幾らでもあるわけです。それをうまく吸い上げて、その文化に合ったものを出していくというのが、これからの1つのビジネスのあり方かなと思っています。

尾関:そうなると、結構、そういう民族学とか、あるいは歴史学とか、そういった文系の学問体系をかなり意識していかないといけないということでしょうか。

太田:まさしく必要だと思っています。そういうようなところに我々が参画をして、いろんなディスカッションをさせてもらう。当然、そこで、それを研究するというわけではないんだけど、エッセンスをいただく場合もあるだろうし、こちらの考え方を変えるという意味でも、人文関係の感覚というのは、僕はぜひ必要だと思っているわけです。

尾関:鷲田さん、またご登場の……。今のようなお話ですけれども、若干プラクティカルな要請から出ているところがあるかもしれませんけど、そういう時代の要請というものを、どのように受け止められますか。

鷲田:今、全世界で、グローバリゼーション、グローバル化ということが言われております。グローバル化というのは、要するに一つの標準基準の中で、あらゆる多様性を貫通して見ていくということなんですけれども、グローバル化が進めば進むほど、逆に、それぞれの地域の文化的な固有性、多様性というのが、より顕在化されて見えてくるわけですね。世界標準との対比で、それとの距離というのが見えてくるわけです。だから、例えば今、欧州で金融危機の問題が起こっていますが、ギリシャとかイタリアとかスペインといった国々というのは、ドイツとか勤勉な国から見ると、あの労働形態は、昼休みも長すぎるし、昼休みにお酒飲んで、また職場に戻る、ああいうことは許し難い非効率、ということになる。ですけど、よく言う幸福度という点からいきますと、あの働き方はそれなりの満足度を与えている、あるいは仕事へのやる気とか仕事の喜びとかというのは、それなりに担保してきたと思うんですね。そういうことが浮上してくると思うんです。

 そうすると、太田さんのおっしゃった垂直型というのは、同じ一つの発想の種、技術の種をまくということなのでしょうが、それをどういう働き方でどういう体制でつくっていくかというのが、単に効率だけの問題じゃなくて、それをつくる喜び、あるいは、この企業で働く喜びみたいなものと結びついて、結果的にはより活力のあるものになるということだと思うんですね。私は、労働というのも、どういうふうに働くかという文化様式でもあると思っていますので、恐らく、グローバリゼーションが――科学ではある意味では、もう世界標準いうのは昔から進んでいますけれども――私たちのいろんな活動全体に広がった場合には、そういう逆に多様性の尊重こそが、活力につながるという問題が、課題として出てくると思いますね。

尾関:なるほど。消費という視点からもそうだし、生産、労働という視点からも、いろいろな多様な文化を踏まえたものが、これから求められてくるということですね、なるほど、ありがとうございました。

 さて、それでは、もう1本、私、きょうの大きな柱かなと思っておりましたのが、これは相澤さんのお話にも出てまいりましたけれども、科学技術政策、現実には、今回も相澤さんを中心とした総合科学技術会議が大きなグランドデザインをお描きになったわけですが、そこに、やはり社会との対話の成果が反映させられるような世の中になったらいいんじゃないかなということを盛り込まれているのかと思います。ただ現実には、何回か今日のお話の中にも出てきましたけれども、パブリックコメントというのを一般の人から募集して、それに応えてという、わりと顔の見えない対話という感じがしなくもありません。

 ここはまず相澤さんのほうからお話を伺いしたいんですが、これからの時代、先ほど来、社会との対話とかコミュニケーションというのを大事にするということでしたけども、どのような試みをお考えになっていらっしゃるのか、第4期に盛り込まなかったものでも、これからの総合科学技術会議の議論の中で、どんなことを提案されていこうとしていらっしゃるか、ちょっと伺えますか。

相澤:社会との関連で大きな情報となったのは、内閣府がおこなっている一般の人々へのアンケート調査です。これは、科学技術関係の報道だとか、ニュースとか、そういうことに関心がありますか、イエスかノーで答えるというような質問から組み立てられているんですが、2年ごとの調査でイエスがだんだんと伸びているんです。科学技術に関心が薄れているという一般的なとらえ方がありますが、心配されるほど低下しているわけではないんですね。

 驚くべき上昇は、社会的な問題、社会が抱えている問題に対して、科学技術が解決してくれるだろうという期待で、このパーセントがグーッと伸びて、今は、もう80%近くになってきているわけです。これは、経年的にとっていて増加していることなので、単発的な現象では全くありません。その中身が反映されたのが、グリーンイノベーションでありライフイノベーションということです。

 つまり、きょう何度も繰り返しました課題設定の「課題」は、決して技術課題でもなければ研究開発課題でもないんです。我々が困っている問題、これを解決するための課題なんです。ですから、それは、パブリックコメントとか何かっていう断片的なもので出来上がるものではなく、我々が社会を、全体を見渡しているという姿勢が、まず第一で、そういう中からいろんなものを積み上げていくということが、基本的には極めて重要なことであります。

 私は先ほど、研究者の目線を変えるべきだという表現をいたしました。それは、今までの制度設計とか政策の策定は、どうしても研究者側の目線なんですね。ですから、これはまず策定する側が、まず目線を変えると、それで社会をきちっととらえる。そして、そのために、科学技術をどう生かしていけるかと、それによって解決できるかと。そうすると、科学技術だけではまず無理だというのが相当多いんですね。ですから、社会システムを変えなきゃいけないということもある。課題解決型に行くということは、あらゆる壁を乗り越えなきゃいけないという意味で、科学技術の中だけで閉じこもっていても駄目ですよということです。

 それから、先ほど来、鷲田さんからいろいろと出ている人文系の話なんですが、4期には、人文社会系を取り込みながら協力して知を結集していくということを明確に位置づけています。そういうことで、私はきょうの初めにも、人間の知恵が試されているということを申し上げました。ですから、我々の知的活動を、社会が直面している課題を解決するように進めるんであって、そのことを、どう構築していくかということでは、今まで科学技術コミュニケーションという形で、いろいろとすそ野を張りました。それだけでも十分ではありません。その方策は、これだけやれば十分だというものが実はなくて、あらゆるところに目配りをしながら、逐一、社会とのコミュニケーションをとりながら、つくり上げていくということになるのではないかと思います。やっぱりこれは時間が必要だと思います。

尾関:ちょっと注釈的な質問ですけど、先ほどの社会問題に対して科学技術に期待している声が何割でしたか、70%以上、80%ぐらいですね。この調査をなさったのは3.11よりは前ですよね。

相澤:前です。

尾関:その後は、それの継続的調査は、まだないんでしょうか。

相澤:まだです。まもなく出るのではないかと思いますが、恐らく、もっと上がっているんではないかと。なぜかというと、信頼性の問題が出ましたけれども、そういう議論が行われるところで必ずあるのは、じゃ、どうしたらいいか、ということです。そこでは、やはり、科学技術がもっとしっかりしてもらわなきゃ困るとか、そういう声が出てくる。だから、もう科学技術に頼らなくてもいいんだなんていう声は、どこにも聞こえないということから、そうではないかという考え方なんです。

尾関:なるほど、次の調査結果は、また注目したい数字かなと思います。

そういうことでいいますと、鷲田さん、よろしゅうございますかまた……。というのは、先ほど、ちょっと名前が出ましたね、コミュニケーションデザイン・センターでしたか。つまり、鷲田さんが尽力されて、大阪大学にそういう科学コミュニケーションを中心に研究する立派な方々を招かれたりしてやっていらっしゃいますね。あそこにかける期待というのは、今の、科学の問題を社会の中で対話していくということと重なってくるし、多分そういうお考えがあったのかなと思うので、ちょっとそのご説明を兼ねて、お話いただけますか。

鷲田:相澤さんのきょうの基調講演の中にありましたけれども、ライフにしろ、グリーンにしろ、いろんな専門科学が複合的にかかわるものだから、そのために知識を、どういうふうに結集するのかということが大事だとおっしゃっていて、その結集させるさせ方こそが知恵というものだと思うんですね。だから、科学者あるいは技術者というのは、知者ではあるけれども、単に知識を持った知者であるだけじゃなしに、同時に、さまざまな自分の知識、そして、ほかの専門の知識を、この問題に関してはどういうふうにまとめ上げていくかという、そういう知恵者でもなければならないということだと思うんですね。

 これは別に、科学者に限らず、例えば料理をするとき、買い物をするときでもそうで、買い物だったら、きょうは歩いてきたから、ちょっとこれは袋に入らないからあきらめようとか、料理の場合でしたら、冷蔵庫を開けて、あり合わせのものをどう組み合わせてつくるかというときに働く知恵と、よく似た知恵だと思うんですね。

 そういう意味で、いわゆる賢い人になるということが、研究者には今、強く求められていると思うんですが、同時に、それは、市民の方もそうだと思うんですね。今回、もし科学の信頼にダメージがあったとするならば、それは裏切られたというような気持ちがあるわけですけど、それは、逆にいうと、科学に預けすぎてきたということの裏返しでもあるわけですから、やはり科学の等身大の姿を、ある程度知る、そして科学技術の進め方についても、まさに市民の1人として、絶えずそれを注視し、あるいは意見を申していくということが必要になってくると思うんですね。

 科学者への信頼というのは、相澤さんが最初のほうでおっしゃいましたけど、いわゆる技術そのもの、あるいは知識そのものへの信頼と、そうでないものがある。まさに、そのことなんですけれども、私ども、うちの――うちのって、もうよその大学になってしまいましたが――大阪大学の専門の、それこそ、さっき名前が挙がった審良静男先生(大阪大学教授)とかに市民の中に入ってもらって、ご自身の研究について、いろいろ話していただくときに、市民の方々が「本当にこの人、科学者としてすごい」と全幅の信頼を寄せられるのは、まず1つは、わからないを連発する先生だからなんですね。

 審良先生は免疫学の先生ですが、それでも、素朴な質問が来たとき、うーんと本気で考え出して、わかりませんと言う。ここまではわかるんだけど、そこから先はわかりませんと。わからないという限界を、ものすごくはっきりとおっしゃるということ。

 それから、もう1つは、これは火山学者とか、あるいは生態学者なんかでそうなんですが、毎日毎日、山に登っておサルに餌をやっている人とか、お正月でもお盆でも火山の噴火予測のために火口まで上がっている人がいる。そういう研究者というのは、実際に予知が外れたことがあるんですけれども、地域の方々の信頼は全く揺るがなかったというんですね。つまり、あの人たちは、自分たちにはできないことを、あそこまで集中的にやれる。私たちが飲んだり、休んだりしているときでも、代わりに行って必ず毎日、正月でも火口を1回のぞいてくる。ふだんの、科学にかける姿を見ていて、そういうところで本当の科学者への信頼というのを感じていらっしゃるんで、いざ予測が外れたからといって、それで信頼が落ちるもんじゃない。

 だから信頼というのは、一方では、科学者としての研究力とか成果とかいう科学者の研究そのものへの信頼もあるけど、他方で、科学者のあり方についての信頼というのも、やっぱりある。その両面を磨き上げていく必要が、教育機関としてはあるというふうに思っています。

尾関:大変に、いいお話というか、お言葉をいただきました。審良先生のお仕事というのは、免疫学で本当に今年のノーベル賞は惜しかったというようなご研究ですよね。 自然免疫のご研究をされていて、私どもが朝日賞をお出ししている先生です。そうですか、わからないを連発される。

 昔、立花隆さんのお話を聞いたときに、優れた科学者ほどわからないことばかり話すと言うんですね。自分はこれをやった、あれをやったというのを9割方しゃべる人はそれほどでもない、と言ってはなんですけども、立花さんは、そういうふうなことを言っていました。やっぱり科学というのは、わからないものを相手にしていると。そのことを、きちんと言うということが、すごく大事なんだな、と今思いました。

 それと、あとは、なるほどなと思いましたけれど、そういう、毎日、毎日、山に登ったり、あるいは、さっきの村井さんのお話じゃないけれど、フルタイムディボーションで毎日毎日一生懸命やっていたりすることも、そういう意味では、1つのメッセージなのかなと思うんですが、村井さん、どうですか。科学者の社会に向けての発信、メッセージというのは、これからの時代、どうあるべきだというふうにお考えですか。

村井:わかりませんね(笑)。今話題になっている、例えば審良先生とか、火山の研究者とか、フルタイムディボーションをやっている研究者のことは、フェースツーフェース、人と人の接触なんですよね。

 その人と人との接触が醸し出す信頼関係で、もう少し大きなスケールでいいますと、グローバル化で世界中にどれだけ友達を持っているかという関係も非常に大事だと思うんですね。点を面にしていき、面を固まりにしていくという運動はあると思うんですけども、フェースツーフェースの関係は非常に大事で、これで、とにかく解決できるというか信頼が築かれることが非常に多いですね。

 それに加えて、やっぱりマスとしてのサイエンス、マスとしての社会の関係は、やっぱり非常に大事ですね。これを、どういうふうにして構築していくかというときに、多分メディアの役割は、大きいと思うんだけども、尾関さん、どう思われますか。

尾関:いい振り方をしていただきまして。いや、すごく難しい質問を投げられたとも思いつつ、すごくいい質問だなと。

 おっしゃるとおり、マス(メディア)として社会にどういうふうに言うかというのは、我々のすごく大切な部分ですね。ただもう一方で今、本当に村井さんがいい言葉をおっしゃったのですが、フェースツーフェースということがある。最近、サイエンスカフェとか科学カフェとかいう言葉が広まり、私どもも、いろんな科学者を招いて小人数で話を聞いたりする催しを試みたりしているんですが、そういう場というのは今、鷲田さんがおっしゃられたように、一般の人たちが、いろんな言葉をそこで初めて知るわけですね。もちろん、いろいろ疑問をぶつけたりもする。だから、その回路もまた一方で必要です。それはサイエンスカフェだけじゃなくて、この時代、旧来型の新聞以外のウェブメディアとかそういうもので、意外とできるのかなと。

 ちょっといい質問なので、つい宣伝しちゃうんですが、この(舞台上の)看板の一番右側に、(後援者名として)「WEBRONZA」というのがございまして、これ何なんだと思っていらっしゃる方が多いと思うんですが、朝日新聞は去年から、ウェブ言論誌「WEBRONZA」というのをウェブ上でやっています。これは新聞と違って、オーディエンスというか、見られる方もまだ少ないんですが、その意味では、わりとフェースツーフェースの感じです。まだ双方向を確立しておりませんので一方向なんですけれど。科学者の方々に書いていただくことも多いんですが、科学者が何を考えているか(がわかる)というような、そういうことがあります。

 だから、これから、いろいろ科学を対話によって築いていくときに大事なのは、今おっしゃられた2つの回路といいますか、マスとしてのマスメディアの役割と、もう少しパーソナルなコミュニケーションと、両方かなというふうに私は思います。何か、私がしゃべってしまいまして、すいません。

 それで、太田さんは、企業におられて、今言ったような大学の社会的発信というようなものを、企業人のお立場でどのようにお考えですか。

太田:企業から見た大学といったときに、非常に功利的な議論をしますと、そこに仕事のネタはどれだけ与えてくれますかという話が1つです。もう1つは、どんな人材を供給していただけますかという話。大きく、この2つに尽きるかなと言ったら言い過ぎかもしれませんけど、まあ、そういうところだと思っています。そのときに感じていますのは、やっておられることの情報発信という意味では、日本の大学って、あまり上手じゃないなという気が、実はしています。

 今の時代ですから、どこで何をやっているのかというのをウェブで調べてもすぐわかるわけですけども、キーワードを放り込んで、その大学がヒットしてくるのといったら、結構下のほうに出てくる場合が多いと。だから発信の仕方が、あまり上手ではないのかなという気はします。

 もう1つの、人材の話なんですが、これは、我々がどんな人が欲しいのかというと、これも、よく聞かれるんですけれども、僕個人的には、よく物事を考える人が欲しいなという気がしています。先ほど、相澤さんのお話で出た言葉を使わせていただきますと、知的活動を好む人とか、楽しむ人というのは、ぜひ欲しいですね。どういう場面でも、そこで知的活動を楽しんで仕事をしてくれる人というのは、ぜひ欲しいと。そういう人をつくってもらえればと。

尾関:先ほど、楽屋の話で、すごく面白かったのが、太田さんの、美しい大学のランキングに日本の大学が入っていないという話がありましたよね、あれ、面白いですね。やっぱり、大学というのは、そういう意味でも、人が集まる魅力的な場所であってほしいということですか。

太田:大学というのは、人が集まってきてこそいいだろうといったときに、集まりやすい雰囲気というのがあるんじゃないのかと。美しい大学というようなランキングがあって、そのランキングを調べてみると、日本の大学って、ほとんど全然入ってなくて、例えばスタンフォードであるとかそういう……。中国の大学も入っているんですよね。そういうようなところで見ると、日本の大学というのは、やっぱりそこで思考を練るというような雰囲気の少ないところかなと、そういう気がしたという話です。

尾関:奈良先はどうですか。美しいと私は思いますが。

村井:奈良先のキャパス、大変美しいですね。ただ、惜しむらくは、これがどっか、にぎやかな街の横にあればいいなという気はいたしますね。日本の大学の多くの大学の特長ですね。それにつけても金の欲しさよと(笑)。

尾関:なるほど、わかりました。何か落ちがついたところで終わりにしたくなっちゃったんですが、あと10分ほど時間ございまして、きょう何か、私が偉そうに時間制限とか言ったために、まだ、こんなことを言いたいのに……というお話があるのではないかと思いまして、お1人、ちょうど3分ぐらいずつならいいんじゃないかと思いますから、最後に、今日のお話を振り返りながら、こういうことがすごく印象に残ったとか、こういうことだけ、もう一言、言っておきたいというのがございましたら、どなたからでも結構ですが、どうですか。相澤さんからいきましょうか。

相澤:今日、いろんな角度から、いろんなご意見が伺えて、大変有意義だったというふうに思います。それで、その上で、あえて申し上げておきたいことがあるんですが、今、世界は歴史的な転換期を迎えているということです。そのときに今度の大震災が起こった。そして今、この大震災からの復興ということが、あまりにも大きな問題でもあるので、どうしても国内的なことに、すべて集約されてしまってきているという危惧です。

 世界は、決して待ってくれない。どんどん新しい構造に移り変わっていく。そのためには日本は、何を中心にして進んでいかなければいけないかというと、これは、やはり科学技術と人材ではないかと。ですから、そのために、科学技術と人材が生かされていくためには、今回ご紹介したように、我々が本当に直面して困っていること、そして、そのことが日本の未来を開く窓口になる、そういうようなものを見上げて知を結集していこうというメッセージなんです。

 ここを、どの程度の危機感を持ってとらえるかというところに、いろいろと温度差があるかもしれませんけれども、本当に私は、日本の大きな危機で、これを何とか克服していかないと将来の日本は極めて危ういというふうに思っておりますので、そういうようなことを最後に申し上げて、私の意見をさせていただきたいと思います。

尾関:歴史的転換点にあるということを自覚しようということですね。じゃ、太田さん、どうでしょうか。

太田:サステナビリティとエンターテインメントというような感覚で、会社の中で、よくテーマを考えているんですが、サステナビリティを守るためにというか、維持していくために必要なものと、もう1つは、先ほど鷲田さんおっしゃった幸福度合いとか、そういうものを上げていくために必要なものというのは、少し違うかもしれない。その両方を議論していく必要があるなというのがありまして、どこか、そういうところがあれば、ぜひ聞かせていただくほうがありがたいんですけれど。

尾関:面白いですね、サステナビリティと、もう1つ……。

太田:うちの会社の言葉で言えば、エンターテインメントみたいな。

尾関:エンターテインメント、なるほど、それをある種、幸福度というふうに置き換えてもいいだろうというようなね、なるほど。それは、面白いテーマをありがとうございました。WEBRONZAでやりたいと思います。鷲田さん、どうでしょうか。

鷲田:最後の発言になりますので、大学のことを言っておきますと、私かねがね、大学というのは、社会の実験場でなくちゃいけないというふうに思ってきたんですね。例えば、世間ではリスクが大きすぎて危なくて建てられないような建物をつくってみるとか、けがするかもしれませんが(笑)。世間では、ちょっと非常識と思われるような就労形態、つまりフレックスタイムなんかいうのは、企業がやるより、本当は、大学のようにやり直しが利くところでこそ実験としてやるべきだ、とか。あるいはまた、評価がうるさくなったって愚痴を言うんじゃなくて、大学こそ普通の組織ではないような新しい評価の軸を提案するとかというふうに。

 大学というところは、唯一税金――国立大学のことになりますが――税金で失敗することを許されているところ、研究というのは、ほとんど失敗ですし、それが研究のみならず、社会の組織のあり方、働き方、建物のあり方というものまで、リスクは自分たちで背負うからということで実験させてもらう、あるいは皆さんの代わりに社会に率先してやっていくというのが、大学の使命じゃないかと私は思っているんです。

 だから今回、基本計画で書かれているイノベーションという言葉、これは、ある意味では、科学技術のみならず、社会の運営のあり方等々についてまで、やはり言えることで、それを率先してやるべきところが、大学ではないかなというふうに思っております。

尾関:社会の実験場という言葉がありましたが、最後に村井さん、奈良先に則して、お願いいたします。

村井:きょう申しましたことは繰り返しませんが、1つだけ言っておきたいことがあります。それは、今の若者、捨てたもんじゃないということなんです。大変ロマンチックですね。社会の役に立ちたいと強烈に思っていますね。ただ、目標がつかめていない。できれば、多様性アジアモデルを軸として、持続可能社会に向けた活動ということを次世代の若者と共有したいなと思っています。

尾関:ありがとうございました。

 今日は、1時間半という時間でしたけども、本当に濃密なお話を、いろいろと伺うことができたんじゃないかなと思っております。科学技術の世界の、科学者の世界の、たこつぼ化というようなことがありますけれども、そこを取っ払っていこうというのは、科学そのものを進めていく上からも、あるいは全人的に人材を育てていく上からも、あるいは太田さんのお話なんかありましたけれども、新しい日本企業が再生していく、再生なんて言っては失礼かもしれないけど、この厳しい状況の中で盛り上げていくためにも必要であると。

鷲田さんにも有意義はお話をいっぱい伺いましたけれど、そういう人文科学系あるいは社会科学系の知との交差といいましょうか、接点を求めて、いろんな相互作用があればいいのではないかというようなお話もありました。

そして、大学の立ち位置というのは、どういうところに求められているのか、どんな発信が必要なのかというお話まで伺いました。本当に有意義であったと思っております。皆さん、お聞きいただいてありがとうございました。

 4人の方に拍手をよろしくお願いいたします。