最後に泣ける達者な恋愛小説の「不覚感」
2017年06月14日
ご存じない、またはお忘れのみなさまへ。歌いだしはこうです。
「いつぅのまにか君とっ、暮らしはじめーていたー、西ぃ日だけが入るっ、狭い部屋でーふたりー」(句読点は息継ぎ)
さびはこうです。
「もしもどちらかっ、もおっと強い気持ちでっ、いたら愛は続いて、いたのかぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ」
布施が高い声で力強く歌い上げる。男と女が出会い、暮らし、別れる。そういう昭和歌謡。
『劇場』は、言うならそれだけの話だ。
主人公は永田、売れない劇団「おろか」の主宰者で脚本家。沙希という女性と出会い、暮らし、別れる。以上、終わり。
と書くと、「それはいかんよ」な感じで伝わってしまうかもしれないが、別にそういうふうに強く思ったわけではない。よくできていた。最後には、涙もこぼれた。不覚である。
この「不覚感」についてはとりあえずおいておくとして、『劇場』は又吉が「恋愛小説」を書いたというのが最大のセールスポイントなのだろう。
かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。帯にそう刷ってある。『火花』がお笑いの世界に生きる男同士、先輩と後輩の話だった。今回は堂々の恋愛小説。
森鴎外がエリスと出会い、暮らし、別れたのが『舞姫』。明治の時代から、恋愛小説とは「積木の部屋」なのだろう。
となると、問題はどんな「積木の部屋」をどんなふうに書くか、ということになる。
森鴎外は「ドイツ留学」をベースにした部屋だった。異国情緒? 「坂の上の雲」な時代のエリートの屈折恋愛?
又吉は「積木の部屋」をどんなふうに書いたか。「すべらない話」のように書いた――と思った。フジテレビで不定期にオンエアされる「人志松本のすべらない話」。これが『劇場』をけっこう形作っている。
矢部万紀子 『火花』と松本人志さんをめぐる個人的妄想――芸人として生きること、小説を書くということ(WEBRONZA)
青木るえか 又吉直樹の『劇場』に「文学」を読んだ満足感――するする読める文、主人公のわかりづらさ、唐突なラスト……(WEBRONZA)
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