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文化・エンタメ 嗚呼!昭和歌謡遺産紀行〜あの時、あの場所、あの唄たち
戦後日本の復活を印象づけた1964年東京五輪の際に大ブレイクした昭和歌謡「東京五輪音頭」のリメイクした「東京五輪音頭―2020―」を使い、 … [続きを読む]
前田和男 2021年10月12日
文化・エンタメ
呪文を唱えるソングライター 小林亜星が5月30日に亡くなった。享年88。生涯6000曲以上の作品を残した作曲家であり、俳優やタレントとしても … [続きを読む]
菊地史彦 2021年06月28日
コロナがやってくる直前、2019年のクリスマスシーズンだった。母親が入居している横浜の老人ホームを訪ねたときのこと。受付で来客用名簿に名前 … [続きを読む]
菊地史彦 2021年01月29日
カバー曲がオリコン上位を占めた1970年代 私たち団塊世代の青春時代でもあった1970年代は、歌謡曲の世界ではカバーが相次ぎ、いずれも「元唄 … [続きを読む]
前田和男 2020年12月06日
17年目に現れたディーヴァ 弘田三枝子が、7月21日に逝ってしまった。戦後ポップスを支えた方がまた一人いなくなった。 デビュー曲「子供ぢゃ … [続きを読む]
菊地史彦 2020年08月04日
【前口上】 故・赤瀬川原平、南伸坊、藤森照信氏らによる路上観察学会事務局をつとめて、四半世紀を超える。あるとき、そもそもなんでわれわれは出来 … [続きを読む]
前田和男 2019年10月25日
文化・エンタメ 「日本」の戦後史 【第2章 ザ・ピーナッツの時代】
遠い国への旅 3枚目のシングル盤でカテリーナ・ヴァレンテの持ち歌「情熱の花」を歌ったことが縁で、渡辺プロは1963年に、カテリーナを招聘、ピ … [続きを読む]
菊地史彦 2018年05月08日
前を向けというラブソング――「ふりむかないで」 「ふりむかないで」は、宮川泰によれば、ポール・アンカの「ダイアナ」のイントロに想を得てつくっ … [続きを読む]
菊地史彦 2018年04月06日
オリジナルソングを求めて 『モスラ』は、本人たちも渡辺プロも東宝も気づかないままにピーナッツを歌手以外の何者か、または歌手を超えた何者かへ変 … [続きを読む]
菊地史彦 2018年04月03日
「シャボン玉」とキャラクター ピーナッツが、60年代初頭の基本路線として選んだのは、洋楽のカヴァー・ソングだった。「可愛い花」に続く2枚目の … [続きを読む]
菊地史彦 2018年02月09日
伊藤シスターズ 1958年12月20日、東京有楽町の東京ヴィデオ・ホールでは、「ジャズコーラスの祭典」と銘打ったコンサートが開催された。出演 … [続きを読む]
菊地史彦 2018年01月17日
クラウン時代の多彩な歌 青山ミチの歌手としての活動は、1962年のデビューから1966年までのポリドールレコード時代、移籍した1966年から … [続きを読む]
菊地史彦 2017年03月14日
文化・エンタメ 若者たちの時代
ポリドールから日本クラウンへの移籍の意味は小さくない。 日本クラウンは、新しいレコード会社だった。日本コロムビアの「叩き上げ」の常務・伊藤 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年02月22日
率直に言って、ポリドール時代のミチの持ち歌には一貫性がない。これは彼女のせいではなく、レコード会社がミチの路線については揺れていたからだ。 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年02月10日
青山ミチのライヴァルは弘田三枝子だと言われていた。ミチ本人もそのような発言をしたことがある。先に書いたように、ミチが横浜テネシーのコンテス … [続きを読む]
菊地史彦 2014年01月31日
戦後の復興から高度成長へ、そして長い停滞期へ――若者たちは、それぞれの局面の中で「時代を超える夢」を見ようとした。そのいくつかは社会を動か … [続きを読む]
菊地史彦 2014年01月21日
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