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文化・エンタメ
古い『朝日ジャーナル』を屋根裏の段ボール箱の中から探し出した。 1969年1月5日号。特集は「造反時代」である。巻頭記事「ルポ・ある青年学 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年12月07日
運動のなかの文化――擬制の告発か行動の統一か 安保闘争のなかで命を落とした樺美智子の遺稿集『人しれず微笑まん』(1960)の口絵には、美智子 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年09月30日
運動を支えた主体 1960年のセヴンティーンについて、少しまとまった文章を書いたことがある(『「若者」の時代』2015)。浅沼稲次郎を刺した … [続きを読む]
菊地史彦 2015年09月29日
国会前デモのシンパシー 8月以後、高校の友人たちと誘い合って国会前へ通った。最初は2人だったのがしだいに増えた。 毎日会社へ通っている者もお … [続きを読む]
菊地史彦 2015年09月28日
私の感じた既視感の原因は述べたとおりだが、翻って「元少年A」という著者への疑念にもつながっている。 特に第1部には違和感があった。ゴースト … [続きを読む]
菊地史彦 2015年07月27日
1990年代とは、いったいどのような時代だったのか。 その前半についていえば、人々はまだ楽観的な気分を持続していた。株価も地価も下落し、企 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年07月22日
パリコレの舞台を最初に踏んだ日本人モデルは、ピーターという愛称で知られた松田和子である。彼女は文化服装学園のモデルスクールで学び、雑誌『装 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年06月16日
学生の頃、一度だけ植草甚一を見かけたことがある。1973年だったと思う。 渋谷から井の頭線に慌てて飛び乗ったのは、何の用事だったのだろう。 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年06月02日
刊行されたばかりの『大瀧詠一 Writing & Talking』は、A5判で900頁を超す大著である。2013年12月30日に亡 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年04月03日
文化・エンタメ 三省堂書店×WEBRONZA 神保町の匠
転生する痛切な同時代史 いかなる同時代史も、私という視座を抜きにして語れない。しかし、そこに若者をすえたら、時代はどうみえてくるだろう。 … [続きを読む]
木村剛久 2015年03月26日
小金井の病院に入院中の友人を見舞う途中、芦花公園駅で途中下車して、世田谷文学館の岡崎京子の展覧会を見に行った。岡崎は世田谷区の生れである。 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年03月03日
文化・エンタメ 若者たちの時代
大塚英志と宇野常寛の興味深い視点を共有した上で、もう一項加えて、この章を終えたい。 大塚は、80年代以来のオタク文化を乗り越える契機を探し … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月27日
80年代の代表的な「民活プロジェクト」のひとつ、東京湾横断道路(アクアライン)は、1989年に着工され、1997年には全線が開通した。 神 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月26日
<遠郊>の文化に触れるとき、「ジャスコ」を語らずにすませることはできない。 消費社会研究家の三浦展(あつし)は、地方都市及びその郊外で犯罪 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月25日
『遠雷』の満夫と広次が、気晴らしに街へ繰り出す場面がある。 漂流の始まる前の青年たちには、まだ屈託がない。満夫の家で、夕食をいっしょに食べ … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月24日
立松和平は、『遠雷』に続く作品として、『春雷』(1983)と『性的黙示録』(1985)を書いて、3部作をなした。 最初の作品が、息詰まるよ … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月23日
佐々木哲也は、1968年春、市原市立八幡中学を卒業し、千葉県随一の進学校である県立千葉高校へ入学した。中学時代はトップクラスの成績だったが … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月21日
1977年に告示された学習指導要領の改訂は、大きな方向転換を示した。 1958年版、1968年版の基本路線であった能力主義的教育 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月19日
学校が有形無形の暴力にさらされ、管理に締めつけられたこの時代、皮肉なことに、学校を舞台にした物語が次々と生まれた。 むろんその背景には、学 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月18日
70年代の「学校嫌い」は、まず「校内暴力」として現れた。旋風のように全国の中学や高校で吹き荒れ、80年前後にピークに達した。 特に激しかっ … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月16日
『おくさまは18歳』の放映は、「学園」が大きく揺れた時代に重なっている。 その背景には、第4章で述べた通り、世界規模の反体制運動があった。 … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月10日
小学校の級友たちと最初に歌った歌謡曲は、舟木一夫のヒット曲だったはずだ。同じ団地内の友人の家には、オープンリールのテープレコーダーがあって … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月03日
舟木一夫が「学園ソング」から脱却し、もう少し大人っぽい青春歌謡を歌い始めた頃、石原慎太郎原作のテレビドラマ『青春とはなんだ』の放映が始まっ … [続きを読む]
菊地史彦 2015年02月02日
今もなにかの拍子に、1969年当時の黙示録的な気分を思い出すことがある。 誰かから吹き込まれたわけではないが、その秋、私はこの年の向こう側 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年10月29日
当時の後期中等教育の政策に触れたが、文部省がなんと言おうと、高校生の最大の関心事は大学受験だった。 私たちは、最高学府の学歴が、豊かで安定 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年09月10日
1960年代後半、高校生はいったいどのような環境の中にいたのか。 ひとまず、戦後の中等教育の歴史を概観してみよう。 1950年代は、敗戦後 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年09月03日
1969年11月4日、私たち都立井草高校の2年生は早朝、東京駅に集合し、南紀班と瀬戸内班に分かれて、修学旅行に出発した。 南紀班と瀬戸内班 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年08月26日
6月の記憶――戦後最大の国民運動 安保闘争は「強行採決」によって新しい局面を迎えた。 5月19日、政府・自民党と清瀬一郎衆院議長は、警官隊5 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年08月05日
1960年4月10日、麻布飯倉片町8番地(現在は麻布台3丁目)にイタリアンレストラン、キャンティが開店した。六本木の交差点から飯倉方面に歩 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年07月03日
相手を倒せば、自分が「本モノ」になる。このシンプルで容赦ない行動を、公認された暴力で実現する「場」がある。格闘技と呼ばれるスポーツだ。 戦 … [続きを読む]
菊地史彦 2014年06月12日
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